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美々津

美々津地図

美々津は伝統的建造物の町で神話の里でもあります。
美々津の由来には諸説があり、一説によれば神武天皇が御船出された聖なる御津の呼び名がなまったものといわれています。しかし現在有力なのは、平安時代の「延喜式」に見られる「美称」の駅名が「美弥」の誤写で、それが後世に「美々」に変化したという説です。 美々津が港町として成立するのは、江戸期の元禄頃(1688〜1703)からで、当時は高鍋藩主秋月氏の支配を受けていました。美々津港は藩主の参勤交代時に出船、入船の港に指定され、次第に栄えていきました。特に美々津を経済の面から支えていたのは、千石舟を所有する回船業者達でした。その人たちは備後屋、明石屋、播磨屋、泉屋など瀬戸内や畿内の地名を屋号にし、耳川では上流の入郷地域で生産された材木や木炭などを大阪方面に出荷しました。また帰路に関西方面の特産品や美術工芸品を持ち帰ることが多く、地域文化交流の担い手としての一面も持っていました。回船業者の活躍はやがて「美々津千軒」といわれるほどの繁栄をもたらすことになり、明治時代から大正時代にかけて最盛期を迎えました。大正12年(1923)の日豊本線開通を機に回船業は衰退していきます。今でも美々津には江戸時代の妻入、大壁造り、明治時代の平入、大壁造りの町家等、質の高い建物が残っています。町並みは港から南に伸びる上町と中町の2街路を主道路として、東西にツキヌケと呼ばれる防災上の目的で設置された支道路が交差している。各町境は低い石が積まれ、各家々の敷地境は、石積みが溝で区別されている。昭和61年(1986)12月18日、「日向美々津伝統的建造物群保存地区」として国の指定を受けました。この美々津の町並みから城坂(美々津の人はジョンザカと呼ぶ)を登った丘の上が高鍋藩の御仮屋跡です。ここからは美々津の町を近景に灯台(御光の塔)、権現崎の森、そして海岸線と大海原が望まれます。ここは御仮屋の後、明治4年に美々津県庁が置かれ、同七年には美々津小学校が開校した由緒ある場所です。現在は美々津支所になっていてすぐ側は国道10号の美々津大橋です。

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美しい耳川
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立磐神社・鉄橋を望む
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漁船群
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日本海軍発祥の地碑
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日本海軍発祥の地案内板
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大きな錨
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古い町並み
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美々津軒
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民家の内部
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高札場
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古い井戸
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里程標
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松並木
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ナナツハエ、クロハエ
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旧回船問屋街
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井戸
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支道路(つきぬけ)
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民芸資料館
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折りたたみ式縁台
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若松屋と石畳
■立磐神社(たていわじんじゃ)・・・ 美々津の耳川河畔にあります。神武天皇御腰掛けの岩や巨樹「楠木」などがあります。
■橋口氏庭園・・・県指定名勝の庭園です。
■美々津道路元標・・・旧豊後街道の道路元標です。
■西南の役激戦地の跡・・・明治10年西南の役で薩軍と官軍の激戦の跡地です。
■ツキヌケと土蔵造り・・・美々津の町並みを守った防火設備です。
■美々津写真集・・・勿体無いから全部のせます。
■美々津橋・・・橋の文化財です。
■天狗日暮れ・・・耳川の少し上流にある不思議な地域です。
■「日向地史」によると、美々津には回船問屋が軒を並べ、千〜千五百石船6隻、五百〜二百五十石の運船五隻が此処を基地に活躍していたとあり、「一年出入り船数大約二百五十隻」という記録が残っている。

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■権現崎沖合いには七ッ八重、黒ハエという岩礁があるが、天皇が乗った船はその間を通り、再びお帰りになることは無かった。今でも漁師たちの船は、そこを「御船出の瀬戸」といって避けて通るという。七ッ八重には灯台がある。昭和15年、紀元2600年祭として建設されたもので、「みひかりの灯」と呼ばれる。

■おきよ祭り
毎年旧暦の8月1日の早朝、短冊を飾った師の篠竹を打ち振り、子供たちが町並みを「起きよ。起きよ。」と呼びまわって起こす「おきよ祭り」の行事があるが、これは天皇の御船出の日取りが急に変更され、「起きよ。起きよ。」という神の声で人々は起き上がり、かねて用意の奉祝の旗を押し立てて浜辺に駆け集まったという故事にちなんだものである。また御船出が急に変更になったので、かねてから献上する予定であった団子が間に合わず、小豆の蒸したものと米の粉を練り合わせたものを献上したといわれ、これが今日いう「つきつれ餅」だという。
■石畳道路について
現在の石敷き路面は、平成4年度地域個性形成事業により、景観に併せて修景したものであり、復元したものではありません。本来の石敷きは自宅玄関前の一部に自然石を敷き詰めて施されていました。実際に敷かれていた石は路地の突き抜け部分に移転復元してあります。(日向市教育委員会)
■日本海軍発祥の地
日本海軍は天皇が統帥された海軍の事でありました。このことから国 が、神武天皇ご親率の水軍がはじめて編成され発信した美々津の地を 「日本海軍発祥の地」と定め、紀元2600年記念事業の一環と して建立されました。碑文の文字は時の海軍大臣米内光政閣下のもの。 この碑は大東亜戦争の終戦直後進駐米軍によって破壊されましたが、 昭和44年に至り地元有志の強い要望により、防衛庁などの協力を得て 現在の通り復元されています。
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