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幸福神社と富高陣屋跡

霧島神社地図

幸福神社は1776(安政5)年、に西国郡代(旧日田代官)揖斐(いび)富次郎が富高陣屋の鬼門除けのために、京都伏見の正一位稲荷五社大明神を勧請したものであろうと言われ、陣屋の鎮守稲荷社と称していたが、1890(明治23)年に現在名に改称した。
    御祭神は大国主命他五神で、例祭日は4月15日
名前の由来は、稲荷は食べ物の神様であり、農耕農作の神であるから「幸」とし、大国主命は福の神であるところから「福」で幸福神社である。
    社内で特に珍しいのは樹齢百数十年といわれる珍しい夫婦楠木がそびえている(神社裏)。推察するにこの木は二本の隣り合った木が高さ3mぐらいのところで枝と枝が重なり、一本の木になっているところからそう呼ばれているのであろう。木の下には「夫婦円満・縁結びの神様が祀られている。
ご利益は有りそうだ。一度お願いしては・・・。
 

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正面鳥居
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神社案内
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本殿
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御手洗
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お地蔵
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富高陣屋跡地標識
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夫婦楠木
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楠木下の縁結びの神様
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別門
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歴史を残す石垣
■富高陣屋跡
    日向市駅前一帯の中心地は富高で、江戸初期は有馬氏領(延岡藩)であったが、1690(元禄3)年、領内の山陰(やまげ)村(現東郷町)で百姓の逃散がおこり、そのため有馬氏は越後糸魚川に国替えになった。そしてこの地富高は天領に編入され、(現日向市では、富高・日知屋・細島・財光寺・塩見・平岩が天領となる)豊後(大分県)の日田代官所の出張所というべき陣屋(手代所)が置かれ、手代(幕府の役人)が駐在した。そのいわゆる富高陣屋跡の石柱が日向市駅から南西1km、市役所のすぐ南、幸福神社の境内に建っている。陣屋の建物は太平洋戦争後もしばらく残っていて、市議会議場に使っていたが、取り壊され現在は何も残っていない。陣屋の所在地は、現在の日向市本町・佐藤医院の南側であったといわれている。
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幸福神社の名前の由来

日向市最大の祭礼である富高八幡宮の「ご神幸」は本谷を出発して市内を回り、塩見川岸の宅蔵ヶ島で一泊したといい、この島が無くなってからは、稲荷神社(幸福神社)が「お旅所」になっていたので、「ご神幸」の「幸」と合祀した大福神社の「福」を合わせ社名を幸福にしたと推察される。