巨田神社

巨田神社(こた):(宮崎県宮崎市佐土原町上田島10732

神社は巨田の村落のはずれ、広大な平野の中の小さな森に囲まれた一角にポツンと鎮座する。このような由緒ある神社が何でここにあるのだろう?。最初の実感であった。 後で調べてみたら、宇佐神宮領の荘園である田島荘の鎮守の神社として創建されたものらしい。と考えるとこの広大な平野という意味においても納得がゆく。

またここは巨田の大池の鴨猟・越網猟が現存する地として有名である。三角網を投げて鴨を捕る猟なんて初めて聞いたが、最近マスコミでも再三見聞きするようになった。

巨田神社看板
巨田神社看板
鴨の慰霊碑
鴨の慰霊碑
神社正面より
神社正面より
拝殿
拝殿
本殿
本殿
本殿
本殿
若宮社
若宮社
今宮社
今宮社

巨田の大池

巨田の大池の大池の位置はどうも解りにくい。神社の前の山の裏手にあたる。何とか探して池の横の空き地に車を停めた。ガーガー?(あれ、鳴き声を忘れた)、何処からともなく鳥の鳴き声が聞こえてくる。それも一羽二羽ではない。数十羽という鳥の群れの鳴き声である。声につられていくと、広い池があった。一面蓮の枯葉に覆われている。というよりここの場合は、水面が低いのであろう。葉はかなり上の方にあり、茎の間に相当の余裕がある。泳ぐのに不自由はないだろう。近くの池はあまり水鳥は居ないのに、ここに多い理由はあるいはそのようなところにあるのかもしれない。

巨田の大池(土手側より)
巨田の大池(土手側より)
巨田の大池(反対側より)
巨田の大池(反対側より)
木が切られて道となっている
山の木が切られて道となっている
窪んだところを飛んでゆく
鴨たちは窪んだところを飛んでゆく。
越網 越網とその技法

巨田の大池とそれを囲む丘陵地は400年以前から越亜網の猟場として受け継がれ、現在石川県片野と巨田のみに残る貴重な古式銃猟地である。

渡鳥の季節、昼間池を埋めた鴨は日の入りに飛び立って餌場へ、日の出とともに休息池に帰り、羽を休める。この時、池を囲む丘陵の上すれすれの高度で丘を超す。この習性を利用して、丘の上の立ち木を切り、鴨の通る道(越、坪)を開く。鴨の出入りは日の出、日没の20分前後と定まっている。。この時坪に隠れて越網を構え、矢のような速さで通る鴨の鼻先に投げかける。網の目に首を突っ込んだ鴨は、網とともに落下してくる。瞬間に鴨の飛翔方向、高低、速度、不測の方向転換などの予測判断を行い、網投げ時期を決定することは各種運動競技の呼吸に合致するものであり、当然熟練した技法が要求される。

江戸期は藩の猟場として許可された者のみが坪に立つことを許され、心身鍛錬の一つとして受け継がれ、現在にいたっている。 

 佐土原町教育委員会

巨田神楽 巨田神楽

平成5年町指定無形文化財 巨田神社は、巨田神社に古くから伝わる神楽で、神楽面や大太鼓などの紀年銘から慶長年間(1600年頃)には舞われていたようだ。 毎年、秋の例祭日には巨田神社の境内で33番が奉納され、町内外の見学者は、その太古の神々の神聖な世界に引き込まれ、厳かな秋の一日に浸っている。この神楽は哀愁を帯びた旋律と軽快なリズムを横笛と太鼓で表現し、他所の神楽と違った独特の趣を有しているという特徴がある。       

本殿と棟札22枚 巨田神社本殿と棟札22枚

昭和53年国指定重要文化財 天長8年(831年)の鎮座と伝えられ、誉田別尊(応神天皇)及び住吉4社の神を奉祀してある。本殿は「三間社流造り」で、文安5年(1448年)に上棟修造され、さらに昭和56年の修復によって、室町時代の神社建築様式をそのまま残している。南九州にも数少なく、県下では唯一の社殿である。神社には中世から江戸期までの棟札が22枚残り、この棟札によって修造と二度目の再興を経たこと事実が証明される。

又本殿両側の摂社(向かって右側今宮社、左側若宮社)は県指定文化財(昭和58年指定)で棟札から、本殿と同時期の建立と考えられる。御社殿前斎庭左側には、元禄13年5月28日、城主島津惟久公が祈願成就のために奉納した石燈籠一基が現存している。

 佐土原町教育委員会

編集後記

せっかく由緒ある神社に来たというのに、領主寄進の石塔も、天皇腰掛の岩も、まったく知らなかった。鴨猟の大池に気を取られ、画竜点睛を欠く取材であった。また行こう。

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