水沼神社と湖水ヶ池

水沼神社 :(宮崎県児湯郡新富町)

ハスの花 国道10号線新富町から少し入ったあたりに、湖水ヶ池があり、その片隅に水沼神社神社がある。今は葉が枯れているが、湖面全体が蓮の葉に覆われている。さびれた色合いの湖面と朱塗りの社殿。いかにも冬の風物詩だ。何かガーガーとエンジン音がする。近づいてみると、おそらくレンコンを掘っているのであろう。湖の中に耕運機みたいな機械が一台はいっている。今は渇水期のため、水が少ないのであろう。

駐車場看板
駐車場看板
表鳥居
表鳥居
参道
参道
本殿鳥居
本殿鳥居
狛犬
狛犬
本殿
本殿
湖水ヶ池と本殿
湖水ヶ池と本殿
水がない水路
渇水期のため水がない水路

この地域には入江が多い。この湖も昔は入江で地殻変動で淡水湖になったらしい。湖畔にある水沼神社は、創建は元禄時代、ミズハノメノカミ、クラオカミノカミ、ナルイカズチノカミの3柱が御祭神で水難除けや農耕の神様として知られる。ミズハノメノカミは美しい女性の姿をしているという。この湖伝説の「お鶴」も器量よしの娘であったという。 何かの因果関係が無いとは言い切れないだろう。

ミズハノメノカミとは

美しい女神だとか(ウィキペディア)

湖水ヶ池

湖水ヶ池は、ハス池で知られ、ほとりには水沼神社がある。周囲はおよそ1km、南北に長く伸びた面積約6haの池で、東岸は海辺の潮堤保安林に接し、常に渇水することなく、真夏ともなれば、湖面全体で蓮の花を楽しむことが出来る。古くから水神信仰が盛んで、江戸時代には早魃の際に高鍋藩主自らが乞いの神事を行う場所として知られていた。 この池で採れるレンコンは、上杉鷹山の実兄である第7代藩主秋月種茂(1743〜1819)が、貧しい藩財政を立て直すため、地元民に栽培させたのが始まりと言われている。古くから伝わる独特のレンコン掘りが、地元の人によって今も続けられている。一本の竹竿を頼りに池にもぐり、足先でレンコンを掘りあてるもので、県内でもこの池だけに見られる珍しい風景である。レンコンは味、形、そして独特の粘りがとてもよく「水神様のレンコン」人気がある。 池周辺は、昭和39年に都市公園として整備された。

湖水ヶ池
湖水ヶ池
湖水ヶ池の地図
湖水ヶ池の地図
採取禁止の看板
レンコン採取禁止の看板
湖水ヶ池と本殿
湖水ヶ池と本殿

湖水(こみず)ヶ池の言い伝え

湖水ヶ池は「こみずがいけ」と呼ぶ。この池の名には次のような言い伝えがある。
採取禁止の看板 昔、この池のほとりに太兵衛とお鶴という親子が住んでいた。お鶴は気立ての優しい器量よしで、家は貧乏だったが、二人は平和に暮らしていた。たまたま太兵衛はお鶴が履いている草履が、毎朝のように濡れているの気付き、おかしいこともあるものだと思いながら、そのまま何日かたった。
採取禁止の看板 ある日の夕方、お鶴が洗濯「洗濯してくる」といって池に下りて行ったが、暗くなっても帰ってこないので、太兵衛はお鶴を呼びに行ってみた。洗濯物は洗いもしないで土手の上においてあったが、お鶴の姿はどこにも見当たらなかった。太兵衛は大声で「おつる・お鶴」と呼んでみた。
採取禁止の看板 すると、正面のハスの葉が風もないのに、ゆらゆら動いて波立ち、髪を乱したお鶴がヒョッコリ現れ、黙ったまま悲しい顔で父を見つめていた。
採取禁止の看板 太兵衛は気がおかしくなったように「もういっぺん、姿をみせてくれんか」と呼ぶと、、前にもまして、池の水が激しく泡立って、現れたのはお鶴の化身した大蛇だった。 声もなく見守る太兵衛との別れを惜しむかのように、大蛇は再び固定深く沈んでいったという。
採取禁止の看板 「ああ、もう、この子を見ることは出来ぬ」と太兵衛が嘆き悲しんだことから「子見ず池」の名が起こり、後に湖水ヶ池となった。

現場看板より

編集後記

一面が蓮の葉で覆われている。今は季節がら, 枯れて私みたいで生彩に欠けるが、これに花が咲けば素晴らしい景観となるだろう。またその時期に来よう。その頃は湖水も満タンで生にあふれているに違いない。

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