旧鶏足寺跡

旧鶏足寺跡の地図

旧鶏足寺跡:(宮崎県東臼杵郡高千穂町下野)

鶏足寺跡は、八幡大神社の隣接地にあり、八幡山無量院と号し、天台宗であった。

鶏足寺は宝治元年(1247)に寛信和尚が開山された盲僧寺で、和尚は三田井氏の本城「向山中山城でstyle="生まれたといわれます。当時は、琵琶を弾きながら地神経(じしんきょう)を読み、高千穂郷18ヶ村の檀家を巡回したり、お宮の祭事に際しても奉仕していた。しかし、明治元年(1868)、明治政府の神仏分離令により、廃寺となった。今は民家になっているが、この屋敷が寺跡である。

八幡神社のイチョウは八幡宮の別当寺鶏足寺の寛信和尚が比叡山延暦寺鶏足院で修業された後、持ち帰り植樹されたと言われている。

案内板

工業港入り口
鶏足寺跡の案内板と入り口
全体像
鶏足寺跡の全体像
社務所だろうか
社務所だろうか
広い敷地
広い敷地

行きかた 高千穂町から国道325号線を高森町方面へ。下野の荒神橋を渡ってすぐ右折。500mほど行くと民家が左手に二軒並んでいるのでそのはずれを左折して、狭い道を上って行く。下野八幡宮の隣地です。

周辺見所

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botan 伊藤義祐滞在の地

関連サイト

botan 仲山城址

和尚の生まれた、高千穂峡近くにある三田井氏の本城です。今は公園になっています。

中九州の盲僧の修業寺として、有名な古刹であった。

天明9年(1789)には、京都青連(しょうれん)院の直末寺となり、盲僧頭格を代々福泉と称し、琵琶を伴奏楽器として、年中巡遊して歩いた。主に荒神経や地神経を唱えながら、三荒神や土地の神々の鎮めにかかわった。盲僧を八幡僧とも琵琶坊主とも呼び、その行動範囲は、豊後・肥後にまで及び、檀家は10万8千軒を数えたという。八幡系の地神盲僧は昭和40年代に断絶した。

文久3年(1863)の「高千穂庄神跡明細記」には、下野村八幡宮の頁に「やはたと云所、別当は八幡山鶏足寺と号して、盲僧の頭なり。代々福泉と云名とす。始祖より今の福泉まで74代也といへり」とある。

延宝3年(1675)当地を訪れた神道家橘三喜は「9月4日、下村別当福泉院に泊まる、翌る朝八幡宮へ参る」と記している(一宮巡詣記)。

配置図

下野八幡宮と旧鶏足寺跡

下野八幡宮と別当寺旧鶏足寺跡、及び巨木などの配置図です。

編集後記

さあ私の災難の話ですが、八幡神社から車に帰って(八幡神社の駐車場を間違って寺跡の民家の庭に停めていた)、車のドアを開けようとしたら鍵がありません。寂しそうにハンドルの横にぶら下がっています。横の民家の人に道具を借りようと思って訪問しましたが、不幸にも不在でした。近くには民家はありません。サア困った。近くを見回すと何と針金が一本落ちているではありませんか。まさか針金一本で鍵が開くとは思いませんでしたが、先を曲げてドアのガラスの隙間から入れ、ガチャガチャするとロックがかすかに動きました。これはいけるかもと、奮闘努力20分、カチャという音の何とすばらしかったことか。いかなる名曲もこれだけの安らぎを私に与えることはできないでしょう。これは天の助け?、あるいは天罰?、どちらなのでしょうね。

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