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甲斐宗攝の自刃の跡と経塚

経塚地図

経塚の由来
岩井川中崎城主甲斐和泉入道宗攝は、高千穂領主三田井越前守親武公の家老であったが、延岡城主高橋元種に脅迫され、天正19年高橋軍を誘導して、三田井家を亡ぼした。それから4年後元種は、宗攝反逆の志ありと言う理由で、家臣水清谷四郎三郎に大兵をつけて中崎城を攻めさせた。中崎城兵はよく防戦し、大将水清谷四郎三郎を鉄砲で撃ち取ったが、大軍のこと故、中崎、小崎の2城は陥ち、宗攝は小原峠で追っ手に取り巻かれ、遂に鶴の平に追い詰められ、ここで自決した。時に文禄4年(1595)7月13日であった。宗攝の恩恵を受けた里人は、戦死の地に五輪塔を建て、経塚といい、甲斐氏墓地には別に供養塔を建立した。宗攝の菩提寺、家代村金鶏寺の位牌には「江月院殿太清宗攝大居士」とあり、同寺の開基となっている。
 

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botan 大人神社と甲斐宗攝の墓・・・甲斐宗攝の墓や甲斐宗攝を祀る大人神社、妻の墓、大人歌舞伎などがあります。

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行きかた 五ケ瀬川沿いの旧国道をはしった方が解りやすいが、今は台風災害復興の工事で通行止めがほとんどで、この経路を行った方が解りやすい。国道218号線を高千穂に向かい高千穂に入る前に、最近出来た天翔(てんしょう)大橋が左手に見える。そこまでは行かず少し手前に左に下りてゆく道がある。急坂ではあるが、危ないことはない。やがて五ケ瀬川沿いの旧道に出るのでそこを左折。少し行くと右手に橋が見えるので右折。橋を渡り村に入るとすぐ左手の橋のたもとに有る。
周辺見所

鶴の平石橋
谷城石橋