甲斐兵庫守秋政の墓

甲斐兵庫守秋政の墓の地図

甲斐兵庫守秋政の墓:(宮崎県東臼杵郡諸塚村家代)

高橋元種の策謀による甲斐宗攝の裏切りによって、三田井親武は屋敷で首を取られ、高千穂の名門三田井家は一夜にして滅亡した。三田井家家臣団もチリジリばらばら、岩戸亀山城主富高長義は、三田井家臣肥後戸士呂城主甲斐兵庫守秋政のもとを頼った。他にも、三田井の残党が次々と当地に集まりだしたので、勢力の増大を危惧した加藤清正は甲斐秋政等をだまし討ちにした。防戦むなしく、三田井家残党で生き残ったのは、ただ17騎だけだった。中には秋政や長義の顔もあった。一行はやむなく高千穂に逃げたが、秋政は鞍岡の三ヶ所で弓で射られ片目を潰してしまう。

行き場を無くした一行に、手を差し伸べたのは、意外にも裏切者甲斐宗攝だった。宗攝は一行を中崎城にかくまっていたが、高橋元種の知るところとなった。高橋勢の厳しい追求を避けるため、一行(17名)は薩摩方面に逃げたが、家代村九左衛門峠近くの丸野にさしかかったところ、家代の被官甲斐文惣左衛門の手勢二百余名に取り囲まれてしまう。「もはやこれまで」ついに秋政は自決した。時に文禄2年(1592)三月二十三日であった。長義の消息は不明である。その後甲斐宗攝も、かくまった事を口実に高橋元種に滅ぼされてしまう。

浅学菲才

工業港入り口
甲斐兵庫守秋政の墓案内板と大規模林道
工業港入り口
甲斐兵庫守秋政の墓碑
工業港入り口
墓碑と巨樹の根元
工業港入り口
枯れている巨樹、森の新生は250年らしいが、最近枯れ木が目立つ。

行きかた 金鶏寺より大規模林道をさらに上ってゆく。左手に池の窪公園を過ぎ、右手に吉野宮神社の道路標識を過ぎてから約1km。右手道路脇に祀ってあります。

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甲斐宗攝の仲崎城跡

日之影町のはずれの背後にそびえている懸崖の要所にある。

余談になるが、甲斐宗攝は三田井氏を裏切って主君の首をとったわけだから、逆臣である。本来ならいくら戦国の時代でも、明智光秀同様の仕打ちを受けてしかるべきなのに、地元においては未だ人気が高い。徳のある武人として慕われている。三田井氏を裏切ったのも、高橋元種から「住民を皆殺しにする」と脅されたからと伝えられている。

編集後記

裏切りとだまし討ち。戦国の常といえ悲しいですね。あの時代に生きるという事はそういうことだったのかも知れませんが。そういえばこの平和な時代にも、人を騙して生きている連中がいますね。俺俺、ワンクリック。姿を見せないから腹が立ちます。組織的な詐欺は普通の詐欺罪より重く、懲役10年以下とか言っていましたが、もっと重くすればなくなるのでは。被害に遭った人達の、無念さを考えれば無期懲役でいいと思いませんか?。アレッ話題がそれました。今日はチョッと過激かな?。

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