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門川城(狗山城)

門川城地図

門川城は、中世に日向一円を支配した伊藤氏の城のひとつで、土持氏に対する最前線の城で、日向三城の一つに数えられた。、天正年間には米良四郎右衛門が城主となっていました。米良四郎右衛門は天正六年大友氏と島津氏が争った高城の戦いで戦死しましたが、その後、門川には島津の支配が及んだと思われます。その頃の門川城主は天正十三年(1585年)の若宮大明神再興の棟札(門川神社所蔵)によると、藤原祐盛とあります。天正十五年に豊臣秀吉の九州統一によって、門川一帯は延岡領となり、元和元年(1615年)に徳川幕府により、一国一城の令が出され、このころ門川城も廃城となったようです。城の形態は中世式の平山城で、丘陵上に四方約28m曲輪本丸があり、ここに城主の居館が建てられていました。そこから西南側に一段低く二の丸や曲輪があり、その下に空濠をめぐらせ、その濠を隔てて東南に三の丸があります。さらにその東に空濠を設けるなど厳重に敵の侵入を防いでいました。昔は周辺の水田が湿田で胸までぬかり込み、近寄りがたい天然の要害であったという。
 

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城址案内板
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城址案内板
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入り口らしい
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広い畑、三の丸跡かな
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裏から見る城址
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道路を挟んで五十鈴小学校
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裏から見る城址
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空濠のなごりかな
この城はまだ良くわからない。身支度を整えて再度挑戦する必要がある。丘の上に向かい細い道らしいのが伸びているのでおそらく何かあるのだろうが、雑草がひどく今回は断念した。
■伊藤氏のその後・・・薩摩軍に破れた後の悲惨な運命に、自分を重ねるのは私だけだろうか。
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