紙屋関所跡

紙屋関所跡の地図

紙屋関所跡:(宮崎県西諸県郡紙屋旧町)

町指定史跡 指定年月日;昭和56年9月18日

紙屋小学校プール北側の少し高い位置に、薩摩藩の紙屋関所跡があり、当時の井戸、建碑の辞、関所の歌碑、紙屋関所跡碑などもあります。関ヶ原合戦後、「去川関」と西諸筋をさらに固めるために、紙屋に関所を移設しました。薩摩九関所の一つです。ここは宮崎方面の天領に備えたもので、今でも1830(天宝元)年の古文書が残っています。また、ここの井戸は当時のものです。

薩摩藩の関所の一つであるこの関所も大変厳しく、犬一匹が通るのにも関所手形が必要といわれていました。

引用:宮崎県の歴史散歩

関所跡
一段高い関所跡
関所跡碑
関所跡碑
歌を刻字
歌を刻字してある(下記参照)
石碑
建碑の辞の石碑
案内板
案内板や石碑
古い井戸
古い井戸
紙屋小学校プール
目前の紙屋小学校プール
関所碑の裏側の畑
関所碑の裏側の畑、ここも当然関所であったろう。

行きかた 宮崎から国道10号線を、途中から265号線に入り、小林市方面に向かう。紙屋大橋を過ぎた直後、右手に上がってゆく道があるので右折してしばらく行くと、紙屋小学校が左手にある。そこを過ぎてすぐ左折。小学校に沿って、30m程上がったところの右手に石段があり関所跡がある。

■昭和5年発行の「野尻村郷土史」によれば、

天正の末、天ヶ谷に関所を設けたが、後にこれを紙屋に移し、左記の官吏を置く。
一、郷士年寄一人日勤す
二、定番四人 此日番は野尻二百七十三戸より郷役員外総でより繰回しをもって出勤せしめ、 此番所通行の旅人は本国某々役所の通行手形を所持せざれば決して通行を許さない……

と記してあり、番所役人岩本平左エ門の末裔右一の歌碑に「星うつり時は代れど人の世の 心の関は許さざらなん」とあります。薩摩藩内の関所がいかに厳重であったかを察する事が出来ます。

一之瀬辺路番所は、古代官道と、近世における須木郷、綾郷との間道であったと推定される三叉路にあったと伝えられています。辺路番所は街道筋の関所を補助するためと、間道筋に置かれました。薩摩藩内では70ヶ所置かれていたといいます。明治二年(1869)政府は交通の自由を認め、関所は廃止されました。

引用:宮崎の街道

編集後記

時代劇には良く出ますが、薩摩藩は至るところ関所だらけです。ここまでやる必要性は、いったい何だったのでしょう。ここだけの話、チョッと疑いたくなりますね。ここは天領に向けての関所とか、徳川の御威光も、大藩には意外と及ばなかったのでは、という気がします。10万石くらいまでの小藩だけが、コロコロ移動させられたり、潰されたりする。今日でさえそのような場面をみかけます。例え相手が誰であろうと、良いは良い、悪いは悪いと、はっきりとした姿勢が欲しいものです。

Copyright©2008 nAn All rights reserved.