Back Topへ

琴弾の松

琴弾の松地図 ココ

琴弾の松:(宮崎県児湯郡高鍋町)

琴弾の松はずいぶん陸地に移動している。いや海岸が遠ざかったのだ。かっては海風のそよぐ砂浜に孤高として立つ老松の威容も今は想像するだに難しい。田んぼの中に良く整理された四角の空き地がある。何代目なのであろう。未だ小さい松の木が歴史の狭間に揺れている。

志(し)ら浪のよりくる糸を 遠(を)にすげて     風に志らぶることひきの松 源重之

拡大

田んぼの中の道路

拡大

琴弾の松碑

拡大

琴弾の松碑

拡大

いわれわからぬ石塔

高鍋町指定史跡「琴弾の松」指定月日 昭和52年3月26日 平安時代に日向の国の国司であった源重之がこの地にあった大きな老松を見てこの歌を詠み、その景勝を立てたと伝えられている。源重之は三十六歌仙の一人であり、平安中期の歌人である。 明治15年ごろに枯れ死したとされる初代松は幹周り約3mほどあったという。 歌碑は天明元年(1781)5月に高鍋藩の綾部長英、安田義門(絵師・歌人)、松岡博章らが発起し、第7代藩主の秋月種茂公に願い出て建てたものである。

歌碑:高さ1m、幅約70cm、砂岩である。 正面:源重之詠と伝える和歌が大文字で丹念に彫られている。和歌は阪庭信義の書になる。 側面:建碑者名三名(綾部長英・安田義門・松岡博章)、建碑年月が記されている。 裏面:全文漢文で刻されている。この撰文(せんぶん)は佐倉藩(千葉県)の儒学者渋井孝徳になる。    (孝徳は細井平州の後を受けて「上杉鷹山」の師となった人である。)

撰文の意味は、
「松風を静かに聞いていると、奥の座敷で琴を弾いているようだ。 水辺に立つ松の枝は四方に低く垂れ曲がっていて、枝が重なり、緑に千年の色を呈している」

源重之が詠んだ頃は、潮風が寄せてくるところであったが、現在は海岸より隔たり、 今日では数代目の松が植えつがれています。この琴弾の松及び琴弾の松碑は、地元の蚊口地区の皆さんにより設立された保存会が保護管理にあたっています。

高鍋町教育委員会&宮崎の街道

Copyright©2005 lifeplan All rights reserved.
行きかた 延岡から218号線を北方に向かい、曽木川を渡ってすぐ、左手の五ヶ瀬川沿いの小丘の上にあります。下に2.3台車を停めるスペースがあります。向かって左手が地蔵堂です。右側の川沿いの方は馬頭観音です。
周辺見所

botan 蚊口浦海浜公園

botan 鵜戸神宮

botan 高鍋城(舞鶴公園)

琴引きの松と伝えられるものに、宮崎県では、他に、

@日南市の鵜戸神宮の 一の鳥居あたり A延岡市土々呂の海岸 (霧島神社) 今の現状

はいづれも枯れ死した。