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岩熊井堰

岩熊井堰地図

岩熊井堰は、延岡市街からは遠回りになるが解りやすいので、218号線を高千穂に向かい細見橋を左折五ケ瀬川を渡り、左折(対岸を引き返す)。しばらくして左側に鳥居があって、井堰への入り口がある。チョッとした井堰展望公園だ。慰霊碑や記念塔等もあり、往時が偲ばれる。土木技術の未熟な時代、昔は木の枠であったらしいから尚のこと、このような大河に堰を築くとは並大抵な苦労ではなかったろう。
   岩熊井堰用水の作業図・・・昔の作業風景

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井堰案内板
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井堰(岩熊側より)
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石塔
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岩熊側取水口
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岩熊井堰の歴史案内
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鳥居
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慰霊碑
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対岸貝の畑側より
延岡藩の牧野氏時代、当時の出北村は、土地が高いため水田に乏しく、畑や荒地がほとんどでした。ここに水を引くことは農民の願いでした。享保九年(1724)家老の藤江監物(けんもつ)が井堰と用水路の工事を郡奉行の江尻喜多右衛門に命じて、井堰つくりの工事が始まりました。はじめは順調に進んでいたものの、五ケ瀬川の水をせき止めると言う困難な作業のうえに、台風や洪水によって堰が流され、工事のやり直しがたび重なりました。そのために費用もかかり、お金もそこをつき、井堰を造る為に働いていた農民や、けが人や、病人が増え工事も進まなくなりました。さらに1731年、藤江監物がこの仕事に反対する役人たちに思いもよらぬ罪を着せられて、三人の息子と共に捕らえられ、監物と長男は日之影町舟の尾の獄中で息を引き取りました。監物の意思を引き継いだ江尻は、こうした中、中止論も出る中で、死をかけて工事を続行し、ようやく着工以来十年目の1734年、完成しました。この工事により禄高も300石増加したと言われています。井堰は、長さ200m、幅27mで県下最大級とされ、取水口は両岸の岩熊と貝の畑にあり、南側と北側の用水路に流れ込み、三輪、古城、本村、新小路、下出北を経て出北に流れ込み、水路延長は30kmにも及びます。
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