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庵川子安観音

方財地図

庵川にある観音菩薩像は延岡領主、有馬直純夫人、日向御前が厚く信仰したものと伝えられる。その由緒は、時代は慶長の終わりから元和の初め、直純の奥方は「日向御前」といい、徳川家康の姫であった。ところが直純はキリシタンを信仰、とかく気荒な行動が多かった。家康は娘のことを気遣い、あるとき優雅御前に「この仏像を朝夕に祈念すれば、直純の心も安らぐであろう」と仏像を日向御前に与えた。それがこの高さ18cmの観音菩薩であるという。仏の功徳はその麗しい姿に現われており、直純の行状もたちどころに改まった。直純の領内には「御口屋番所」という幕府が許可した二箇所の関所があり、往来する人馬から運上(税)を徴収、日向御前の「お化粧料」としていた。それが直純の孫の清純の代に御口屋番所の数を増やし、多額の運上を取り立てようとしたため、山陰村(東郷町)の農民が一揆を起こし、有馬氏はやがて越後の糸魚川に国替えになった。今も観音堂を守っている家の先代にエイという人がいて、日向御前に仕えていた。御前から大変かわいがられていたが、延岡立ち退きの際に遺品として、本尊を拝領した。それまで御前のもとできらびやかに飾り付けられ、祀られえいた尊い像が、貧しい家にあっては冥利に尽きるというより恐ろしく、ただひたすらに信心供養を怠らなかった。これが天に通じたのか、家運も栄え、悪い病気なども起こらなくなった。近くの人々がこれを伝え聞き、色々と祈願するようになった。その効き目は大変よく、お産の前や後の諸病はもちろん、子供の虫気、夜鳴きなどもたちどころに治った。そのことから子育ての観音と呼ばれ、遠くからも参詣する人が相次いだ。今から4.50年前、家屋内に24坪の土地を清めて、新たな御堂を建て、正月18日、盆の14日、彼岸の中日を縁日と定めて祀っている。有馬氏との縁からこの像はマリア観音ではないかとの噂が立ったこともあるという。それもこうした御利益があってのことであろう。(宮崎の神話と伝承101より)

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道路側より
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正面
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お堂
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お堂入り口
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御本尊
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敷地内の石塔
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昔ながらの石垣
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歴史ある巨樹

見所
◇シンニョムの墓・・・延岡の高橋元種が朝鮮出兵の時、連れてきた朝鮮人陶工の墓です。

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行きかた   ここを探すには苦労しました。観音様が私を受け入れて下さらないのではと思ったくらいです。地元の人に聞いても10人ぐらいには訪ねたでしょうか。誰も知らないから不思議です。それでも小さな児童公園の近くのご主人に聞いたらご存知でした。それでも一回では行くことが出来ず、引き返して又お尋ねしましたところ、近くまで連れて行ってくださり、念願の子安観音様に至りました。(有難うございました。サイトを借りてお礼申し上げます)。10号線から加草の交差点を海浜公園の方に左折、突き当たり付近の広場にシンニョムの墓というのがあります。そこを基点にしてください。