飯野城址(亀城公園)

  

飯野城址 :(宮崎県えびの市原田)

住宅街を抜けるとすぐ大手門入口の看板がある(Mapの位置)。城址の大手門入口である。登場口を入ってゆく。木々の下の、笹に覆われた部分は、昔の広場か何かの跡であろう。本丸跡は公園になっているので、そこまで車で行ける。ところどころに曲輪跡の説明が有るが、はっきりとはわからない。ただ面白いのは、途中の三叉路に「加久藤城連絡路」なる案内標識があることだ。車でも20分程かかるのに歩いて行ける距離ではない。城と城を結ぶ特別の馬道があって、連携を保っていたのだろうか。そこを過ぎると道はいよいよ急こう配、雨上がりの苔むした道に車輪は時折空回りする。何とか頂上。広々とした空間が広がっている。本丸跡だ。

大手門跡
大手門跡
現在の大手門
現在の大手門
弓場跡
弓場跡って?練習場かな?。
三叉路
今は三叉路だが、昔は四差路かな。
天守跡
天守跡
工業港入り口
追手門跡。加久藤城への通路。
天守の城址石碑
天守の城址石碑
城を巡る小川
城を巡る小川

木崎原の戦い

九州の桶狭間と言われる島津氏と伊藤氏の戦場の跡である。

加久藤城址

戦国時代は飯野城と共に。島津氏の伊藤氏に対する防衛ライン的な城塞。

飯野城址とは

ウィキペディア

史跡 飯野城址

飯野城(別名亀城)は永禄元年(1160)に日下部重貞が入城し、寛永4年(1345)には北原兼幸が、永禄7年(1564)には島津義弘が城主になった。

元和元年(1615)一国一城令によって廃城になるまでの間、真幸院の領主の居城として栄えていた。 この城は、飯野一帯を眺望できる断崖と深い谷に囲まれた要害の地に立地している。 丘陵頂部は平坦に造成され、本丸や二の丸、三の丸・物見曲輪などを備えた強固な山城となっていた。

えびの市教育委員会

編集後記

良く見る戦国時代の山城である。隣の加久藤城とともに、島津氏の伊藤氏に対する防衛要塞ラインであったのであろう。

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