飯野の三連石橋

  

飯野眼鏡橋(飯野の三連石橋) :(宮崎県えびの市原田)

飯野眼鏡橋は、川内川支流の、広い鍋底型をした渓谷を、またいで架かっている。下は公園みたいになっていて、その横を川内川の小さい支流が、チョロチョロと音を立てながら流れている。橋の真下までは行けないため、直近かの写真を撮ることはできなかった。それにしてもすごい石橋だ。下に木材の桁を作って石を積むらしい。上を歩いてみたが、意外と広い。眺望も良い。昔は車道だったらしいが、今は車止めがあり、通行できない。しかし当時は大木を載せたトロッコがここを走っていたのだね。しばしトロ乗りさんの気分にひたる。

石橋
石橋(三連が何とか見える)
三連石橋の一部
三連石橋の一部
石組
石組
トロッコ路から石橋へ
トロッコ路から石橋へ
石橋上部歩道
石橋上部歩道
石碑
熊本営林局の刻印のついた石碑
石橋上より上流部
石橋上より上流部、下には公園
歩道
石橋上の歩道(反対側より)

木崎原古戦場

島津氏と伊藤氏の天下分け目の戦いの場所です。。

飯野城址

島津氏の伊藤氏に対する、防衛の山城です。。

加久藤城址

飯野城と共に、伊藤氏に対する防衛のための山城です。。

アーチ式石橋の架け方

高校生のサイトです。「老いては子に従え」解りやすく書いてあります。
眼鏡橋

眼鏡橋(国登録有形文化財)平成10年9月25日登録

この橋は、川内川最上流の大平官行から吉都線飯野駅までの約30kmのトロッコ軌道の一部として、熊本営林局に木材搬出用に造られたものである。当時は直径2mにも及ぶ大木がトロッコで運ばれていたという。

石造三連アーチで、正式には「月の木川橋」といい、昭和3年(1928)に完成した。木材でやぐらを組み、それに基づいて50cm角の石を積み重ね、アーチの一番真中に五角形の要石がある。 鹿児島県串木野の肥田佐兵衛が請負、切石は。この有馬川の上流から木馬で運び出され、のべ数千人の人たちによって造り上げられたといわれている。

しかし自動車の普及により軌道は昭和37年(1962)に廃止され、今では市道となった。自働車が通るようになったが、安全上の理由で通行止めとなり、現在は人だけが通る道となっている。

えびの市教育委員会

この軌道にほぼ沿いながら、水路が掘削されている。この水路は享保水路と称されて、水路の取水口には「享保十七(1732)年四月」銘のある石碑が八幡丘下の国道221号線沿いに建立されている。 延長6.8km、幅約2.1m前後で灌漑面積は350町歩に及んだ。

引用:宮崎県の歴史散歩

編集後記

石橋の取材でいつも思うことは、その高度な石組の技術である。隅間のない城壁にしてもしかり、何の計算式も無しに造れたのであろうか?。確かに空を飛ぶことはできなかったが、反面一部では、現代人をはるかに超えた何かを持っていたのかもしれない。

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