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僧日要(びよう)の墓

僧日要の墓の場所地図

僧日要は、永享八年(1436)に細島に生まれた。幼名を円丸と称し、六歳の頃、妙国寺の脇坊であった蓮光院日恵に従って法華経を学び、延徳元年(1489)には安房国(千葉県)、日蓮宗本山妙本寺の第十一代座主となった。日向に帰国してからは、細島で近郷住人の教化に努め、永世十一年(1514)79歳で没した。日要は勤皇家で知られている。現存する日要の墓は、本要寺跡に建っており、自然石の正面に「南無妙法蓮華経」と題目を刻んでいる。
昭和14年1月27日、県指定史跡に指定された。
 

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僧日要の墓の標柱
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厨子
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僧日要の墓石
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墓全体
日知屋城で兄伊藤祐国(すけくに)の子尹祐(ただすけ)に謀反の疑いで殺害された城主祐邑(すけむら)が亡霊となり、白馬に乗って深夜の細島を駆け回った。細島の人は亡霊に怯え、病死者が出たりした。そこで日要上人が法華経を読誦(どくしょう)し、三秘密の大法によって、お題目を誌した石を海中に沈めた。また、伊太郎、伊次郎の兄弟に鬼面を作らせて、これに弓矢を射させたところ、以後亡霊の出没もなくなったという。その後鉾島神社に祐邑を祀り、その神事として、太郎、次郎と称する二人の的射が伝えられるようになった。(宮崎の伝説より)
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