堀川運河

堀川運河:(宮崎県宮崎県日南市油津1丁目)

かって飫肥杉やマグロ漁で賑わった油津の町、今も残る堀川橋、油津赤レンガ館、杉村金物本店など多くの貴重な建物は国の登録有形文化財に指定されている。その街を分断する堀川運河は、木材搬出のために開削されたものであるが、今も保存されている石積護岸は、石橋の堀川橋、二階が玄関という変わった一般家屋、などの景観と相まって、明治・大正の時代を彷彿とさせる。また最近出来た美しい夢見橋や緑地公園など、観光の町「油津」の誕生かもしれない。

堀川運河
堀川運河
夢見橋
夢見橋
夢見橋
夢見橋
堀川橋付近
堀川橋付近
堀川橋
堀川橋
赤レンガ館
赤レンガ館
ここは?
ここは?
赤レンガ館表札
赤レンガ館表札
油津赤レンガ館(文化庁登録文化財)

大正10年頃に河野家の倉庫として建てられたものである。レンガ造瓦葺三階建で約22万個のレンガを使用している。中央道路部分はアーチ型をしており、大正時代の面影をそのまま伝えている。建築面積132.23u。

寅さん

堀川橋周辺は、港町油津と堀川運河の代表的な歴史的景観であり、平成4(1992)には「男はつらいよ 寅次郎の青春(第45作)のロケ地となった

夢見橋 夢見橋

夢見橋は、地場産の飫肥杉(120年生)と飫肥石を使いボルトや金物は使わない、伝統工法の「木組み」で造られている。飫肥杉は曲げと水に強い特性があるため、舟の材料として使われてきた。ぞの造船技術伝えるために、天井は「曲げ木」で出来ている。屋根は日南の暑い日差しや雨から人や橋を守り、また暗くならなりすぎないようにトップライトがある。橋の中央には、くつろぐためのベンチがあり、夏には運河の涼しい風が吹き抜ける。

堀川橋

堀川運河は、飫肥藩五代藩主伊藤祐実の命により、2年4ヶ月にに及ぶ難工事の末、貞享3年(1686)に開削された。 堀川運河両岸の多くは、明治時代後期から昭和初期にかけて飫肥杉の貯木場となった護岸を補強するため、各土地の所有者が県の許可を得て築造した。戦後には、石積み護岸をコンクリートで覆うなどの補強工事が進められ、、多くの石積護岸が姿を消していった。 その後、昭和50年(1975)代には運河の埋立て計画が決定されていたが、昭和63年(1988)に市民による運河保存運動が起こり、埋め立て計画の見直しが行われた。 平成5年(1993)からは、宮崎県による堀川運河の保存整備が進み、石積み護岸を覆っていたコンクリートを撤去、伝統的工法による石積護岸を甦らせている。

堀川橋

堀川橋は、堀川運河の掘削により分断された油津の町をつなぐ橋として、明治36年(1903)飫肥の石工 石井文吉によって架けられた単アーチの石橋である。吾平津神社(通称乙姫神社)の参道橋の役割も兼ねているため乙姫橋とも呼ばれている。 明治の中頃までは油津板橋という木橋があったが、永久橋を望む油津町民の願いから、約4年の歳月をかけて石橋へと架け替えられた。堀川橋の下流側には、現在でも油津板橋の橋脚を立てたと思われる岩を彫りこんだ円形の穴を見ることができる。また船の航行が出来るよう橋のアーチを高くする必要があったため、両岸の道路を約3mかさ上げしている。このため堀川周辺の家屋には、道路に面する二階が玄関となる家屋があり、独特の景観となっている。

編集後記

初めての油津訪問であった。行程上、まず目に付いたのが夢見橋、そして堀川運河であった。油津大橋を渡り古い街並みに入ると、堀川石橋、赤レンガ館などの古の風格があった。今回は急ぎのためあまり詳しくは取材できなかったが、また行ってみたくなる街である。

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