本東寺

本東寺(日蓮宗)(宮崎県延岡市松山町1133)

国道218号線を高千穂に向かって走ると、すぐ右手にこんもりとした森が見えてくる。高さは50mぐらいであろうか。戦国時代この地域の領主「土持氏」の居城があった松尾城址である。その入口を入るとすぐ右手に高い石垣の上に立つ本東寺がある。その開山年代からして、その当時もここに存在していたことになる。おそらく松尾城の鬼門寺としての存在であったろう。当時の寺は要塞も兼ねていたからこのような石垣があるのかもしれない。

またここには巨樹百選にも選ばれた有名な「慧日梅」もあり、毎年2月初旬には観梅会が開かれ、多くの観梅客が訪れる。

本東寺入り口
本東寺入り口、少々狭いがここから右に登ってゆく。
日向御前の墓
徳川家康の孫娘、日向御前の墓だ。
本堂
本堂
日蓮上人の銅像
立正安国だから日蓮上人の銅像だろう。
慧日
慧日山本東寺のこの梅は日顕上人が移し替えられた名梅で、樹齢凡そ200年と言われている。この梅は高さ5.5m、地上1mの樹周が42.3mの枝垂れ白梅で、八方に伸びた枝は東西11.4m、南北11.5mに広がり、花は純白で無数の枝垂れに咲き香る風情は他に見られない美しさである。

社内案内板

有馬一族の墓碑
有馬一族の墓碑 「有馬康純公夫妻の墓」右側に有馬純」の第二代藩主で有馬直純・国姫(日向御前)の子供、左側は康純の奥方(有馬氏第三代目の永純の母) 供養五輪塔左右にあるのは、有馬氏第三代目延岡藩主有馬永純夫妻の献塔と思われる。     

延岡史談会

藤江監物の墓
藤江監物の墓・・・牧野家の家臣、享保年間、岩熊井関、用水路を建設し、農民の恩人と崇められた。その一族の墓がある。墓は別に日之影町の舟の尾にあるから、分骨なのかな?
鐘楼
鐘楼(しょうろう、しゅろう)
  • 松尾城址
  • 当社は松尾城の鬼門寺であった。戦火に見おまわれたことだろう。
  • 西階城址
  • 土持氏が松尾城に来る前の城であるが、金堂ヶ池、遊歩道をはじめ公園として整備されている。。

慧日山、本東寺 当山は建武二年三月二十三日、日蓮大聖人より第五祖目にあたる日叡上人により開山された由緒ある寺院である。当寺は建武2年(西暦1335年)に開基された。

■鬼子母神・・・子授け、安産、母子の守護神として、布陣の信仰は厚い。延岡藩主有馬永純公が越後の国糸魚川にお国替えの折、本東寺に寄進された像が祀られている。日向御前の御守護神として尊崇が厚かったことでも知られている。

■日向御前・・・徳川家康公の孫娘であり、養女でもあった人、慶長15年(西暦1611年・当時14歳)肥前の国(長崎県)島原の日野江城主、有馬晴信の子直純と結婚、慶長19年お国替えとなり、延岡に来た人である。慶安2年(西暦1649年)没。

■藤江監物・・・牧野家の家臣、享保年間、岩熊井関、用水路を建設し、農民の恩人と崇められた。その一族の墓がある。

有馬康純公夫妻、日向御前の墓、徳川家康公の位牌、諸寺録など、有馬、徳川家に縁の深い由緒ある名刹であり、慧日梅(樹齢約200年)も有名である。

案内板より

編集後記

今回は久しぶりの訪問であった。この前のページはウィルスにやられて破壊されたため、撮りなおしに来たわけであるが、まあいろいろ由緒深いお寺なんだね。だが、一度も慧日梅の満開の時は来たことがない。何か間が悪いのだよね。残念。

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