日知屋城址

日知屋城址:(宮崎県日向市日知屋1)

美しい砂浜に静かに波が打ち寄せている。ここは海水浴場でも有名な「伊勢ケ浜」だ。数人の若者がサーフィンを楽しんでいる。

右手に樹木に覆われた小さな半島がある。戦国時代の日向の覇者、伊藤氏の「伊藤48塁」の一つ、日知屋城址である。三方は柱状節理の懸崖に囲まれている。城というにはあまりにも小さいが、砦としては堅固な存在であったろう。戦いに明け暮れた時代もあったのだ。城内に入ると、クネクネと曲がる細い通路の周囲に、一族の墓や幾つかの曲輪の跡、当時の石垣等が残されている。 しかし不思議なのは、何でここにサークルストーンがあるのだろう。太古の昔から神聖な場であったのか。思えば直ぐ近くに古墳群もある。

入口の石碑
入口の石碑
入口の正門
入口の正門
伊藤家の墓
伊藤家の墓
虎口入口
虎口入口
虎口門
虎口門
虎口広場
虎口広場
本丸入口
本丸入口
本丸跡
本丸跡
東の曲輪
東の曲輪
サークルストーン
サークルストーン
今も残る石垣
今も残る石垣
堀切に架かる石橋
堀切に架かる石橋

日知屋は南北朝時代から都於郡城に本拠を置く伊藤氏が治め、日知屋城址はその支城で、門川城(門川町)、塩見城(日向市)とともに日向三城の一つに数えられた。15世紀末には伊藤氏12代の祐国(すけくに)弟祐邑(ともむら)が城主であった。祐邑は祐国の子祐尹と争い「豊後を味方につければ国も安泰」だと豊後の大友氏に通じ、本家から謀反の嫌疑をかけられ、刺客に殺害させた。そのとき城は取り壊されそのまま廃城となり、今は石段がわずかに残るだけである。城跡内には祐国、祐邑の供養碑があり、公園として整備されている。(引用不詳)

関連
都於郡城
伊藤家の本拠地である。ここの城はすごい。よく手入れがされていて当時のままだ。
松尾城
当時敵対していた延岡の城主、松尾氏の居城跡である。
周辺の見所
大御神社
岬の反対側にある神社である。入口はほぼ同じ。
門川城
日知屋城と同じく 伊藤氏の48塁の一つである。
日知屋城址 主郭

日知屋城址 主郭

日知屋城址は岬に築かれた城で、別名を船岡城と言い、自然の尾根に守られた城の中心地を本丸にしており、ここに城主や家族の住む屋形が建っていました。

本丸では13世紀から16世紀ごろの陶磁器や硯、古銭、かんざしキセル、などたくさんの遺物が発掘されている。

伊勢ケ浜

岬から見る美しい伊勢ケ浜

溜まりであったであろう入江

当時船溜まりであったであろう入江

編集後記

三方を海に囲まれた城、規模は小さく、砦の域を出ないが、周囲は柱状節理の懸崖に囲まれ、結構攻めにくい城だったかもしれない。北方には土持氏が控え、戦いに明け暮れた時代であったろう。

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