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比木神社

比木神社地図 ココ

比木神社:(宮崎県児湯郡木城町比木)

祭神は:オオナムチノミコト他四神と福智王(ふくちおう)の六神です。

比木神社は今から千八百年前、第13代成務天皇の御世、武内宿禰(たけしうちすくのね)に命じ、国・県(あがた)・邑(むら)・里(さと)を定められた時、社領として百町歩を賜り、五社大明神を崇め祀ったのが始まりと伝えられ、きわめて古い創建の神社です。江戸時代には高鍋藩、秋月藩歴代藩主に深く崇められ、社殿改築、鳥居の建立、竜神絵図など多くが奉納されています。

朝鮮百済王であった福智王は、新羅に滅ぼされ、安芸の厳島に逃れ、その後日向の国高鍋町蚊口古港に上陸し、占いにより比木に住み徳行ありて合祀されています。

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神社石柱と楠木の大樹

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入り口鳥居

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楠木の御神木

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チシャの木(巨樹百選)

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拝殿

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拝殿入り口

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拝殿内部

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本殿

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神社前の井戸の由来

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移転された古い井戸

botan 神社正面に立つと楠木の大樹がまるで神社を支配しているようだ。境内入り口右側と少し入った左側に楠の木の大樹がある。この神社の御神木で推定樹齢400年(町指定文化財)である。

拡大 この神社でひときわ目を引くのが大きなしめ縄。重さが何と600kgもあるという。付け替えの時には8人がかりで15日間もかけて作るというからその大きさもしれようというもの。


botan 比木神社の拝殿より本殿に渡る渡り殿の天井に、双竜が玉を争う絵が書いてある。昔から「生き竜」と呼ばれてきた。

・生き竜についての伝承とは:

江戸時代のことである。ある日一人の絵師(初代安田李仲)が、一対の竜の絵を奉納するために籠って想いを練っていた。すると美しい乙女が現われた。「想像でお描きになるのは難しいでしょう。私を見てお描きください」というと竜の姿になった。絵が出来上がるとその竜は蛇ヶ淵(じゃがぶち)に沈んでいったという。おるときのこと、乞食が渡殿に泊まった。夜中にさわさわという音に目が覚めた。何としたことか、天井の絵より竜が抜け出すところであった。また比木神社の社殿は明治10年(1877)の火災にて焼失した。現在の竜の絵は再建後に「八代安田守世が復元したものである。画題は「双竜玉を争う」と称されている。

高鍋・木城・串間紀行 田浦チサコ著

編集後記

今回は最初でしたので、資料も無く「生き竜」を拝見することは出来ませんでした。

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行きかた 国道10号線高鍋より、およそ10kmで木城町に着く。役場横の40号線を小丸川沿いに登り、比木橋を左折。小丸川を渡り、産業道路に入ってすぐ左手に比木神社の杜が見える。
周辺見所

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関連サイト

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福智王の母君を祀る神社です。高鍋の鴫野海岸に鎮座しています。年一度大年下りの祭事が行われます。

チシャの木

指定:巨樹100選 幹周:360cm 樹高:30m 樹齢:推定300年