八幡神社と智古神社

八幡神社と智古神社の地図

八幡神社と智古神社:(日向市大字富高5895番 )

八幡神社は、タラシナカツヒコノミコト、オキナガタラシヒメノミコト、ホンダワケノミコトが祭神である。 創建は元暦年間(1184〜85)の昔で、工藤祐経と那須与市(宗隆)との勧請によると言う。元暦年間平家の一族が安徳天皇を守護して、豊後国平山に立てこもった。これを聞いた源義経は早速、工藤祐経、那須与市を征討軍として、日向の国へ下向させた。二人は播浦から上陸し、臼杵の庄に到着してこの地に築城した。そして二人は鎌倉の鶴岡八幡宮を勧請造営し、日々社参して軍評定をした。その後当社は源氏の国土平定化と共に、造営相次ぎ国家安泰、五穀豊穣の神として信仰を集めたという。

尚明治になって、祇園神社、和田大将軍社の両社を合祀している。県北最大の祭りとして知られる当社の十五夜祭りは旧八月十五日に行われる。文治年間に始められたが、一時中断し、文政十年に再興した。祭礼が催されるようになって、豊作が続くようになったと言う。当日は見立細工や花屋台などの店が並び、近郷近在からの参拝者で賑わう。主な御利益は縁結び・子授け・安産・商売繁盛・家内安全・交通安全・厄除けなど。

神社正面
神社正面。鳥居に2社の名前も珍しい。
鳥居
この鳥居が「暴れん坊将軍」時代のもの。
古い灯篭
参道階段横の古い灯篭
拝殿
奥の鳥居と拝殿
拝殿
拝殿
拝殿の内部
拝殿の内部。
鳥居
祖霊社鳥居
祖霊社
祖霊社
鎧掛けの石
那須与市鎧掛けの石
本殿
本殿
拝殿
拝殿全体
稲荷大明神
左手の稲荷大明神
鍵の宮
鍵の宮とは
手水舎
手水舎
住吉神社
住吉神社移転鎮座
石の祠
正体不明の石の祠
行きかた 国道10号線を日向市役所方面に行き、そのまま真っ直ぐに富高川沿いに上ってゆくと、八幡神社の社前に出ます。大きな看板が出ていますのでわかりやすいです。
拡大

エビネ蘭の寄贈

境内の杜には5,000株ものエビネ蘭が寄贈され、植えられている。季節になれば美しい花を咲かすのであろう。

拡大

手水の作法

@まずひしゃくで左手に水をかけます。 A次に右手に水をかけます。 B左手に水をためて、口に含んですすぎます。  水を出すときは手で隠します。 C口を付けた左手をもう一度洗います。 D最後に残った水で自分の持った  ひしゃくの柄を洗います。


智古神社

智古神社は、八幡神社の境内社である。

祭神は、出雲の国を造り上げたといわれる大国主命(オオクニヌシノミコト:医薬の神様)、少彦名命(スクナヒコナノカミ:医療の神)、大国主命の子供の建御名方神(タケミナカタノカミ:剛力の神)である。

保元2年(1157)土持氏の一族土持秀綱、富高の姓を名乗ってこの地に来て。三河(愛知県)から勧請したという子供の守り神である。智古は稚児に通じる。お参りすればヒキツケ、夜泣き、疳の虫、諸病治癒に効き目がある神様として、沢山の崇敬者が氏子となっておられ、通称チリ神さんと親しまれています。稚児神社の例祭「ちりがんさん」は12月13日・14日の二日間行われ、氏子受付を行い、出生時から15歳まで、毎朝延命息災の祈願しており、無病息災で満願成就を迎えた15歳の願解きをし、記念品を贈る。

関連サイト

botan 日向十五夜祭り

日向市の名物踊りです。。

botan ひょっとこ踊り

いかにもユニーク日向地方に伝わる踊りです。

国道沿いの看板

バス停と看板

社前にはバス停があり、左手の駐車場には大きな看板がある。

社前の石碑

参道の直線状の社前100mにある石碑。この付近を御手洗といい、かっては神社の一角であった。4基のうち2基の古い石碑があるが、一基は文政年間(1818〜1829)の馬場の奉納碑、別の一基は放生ヶ池の碑。馬場や池がどれほどのものか定かではないが、源平時代古城ヶ鼻と一体をなした軍事的要塞としての神社であった名残であろう。

六輪の塔

六輪の塔

五輪の塔は良く見かけるが、六輪の塔は珍しい。

鳥居説明

暴れん坊将軍時代の鳥居

この鳥居の柱は、江戸時代享保十二年(1727)に建てられたもので、八代将軍徳川吉宗の頃です。日向市内では一番古い石建築物といわれています。

宮司

編集後記

この神社は入り口鳥居から、八幡神社と智古神社が併記されています。八幡神社は源平合戦時代の遺跡とのことです。那須与市もこの地に来て砦を構えたのでしょうか。那須与市といえば、壇ノ浦で平家が立てた扇の的を、見事射落としたことで有名な源氏方の武士ですが、椎葉に行ったのは、弟の那須平八郎でした。この時代のことは良くわかりません。

Copyright©2008 nAn All rights reserved.