舟の尾の代官所跡

舟の尾の地図

舟の尾の代官所跡:(宮崎県西臼杵郡日之影町舟の尾)

舟の尾代官所は、延岡城主有馬直純が高千穂の庄統治の要として、寛永三年(1626)に七折村舟の尾の地に高千穂代官所(舟の尾)を置いた。初代代官は土地の有力者津隈太郎左衛門直次である。

寛政九年(1797)焼失し、寛政十一年(1799)宮水の地に移転する。その間173年間この代官所は高千穂の庄統治の要であった。

当時は五ケ瀬川北岸の山岳地帯を尾根伝いに岡本・曽木・舟の尾・日之影・宮水の集落を経て高千穂に出る険阻な山道だった。

宮崎の街道

右へ
ここから右へ。
この上200m
この上200m。
代官所由来
代官所由来。
民家の横
民家の横のこの道を入っていったのですが、気を使います
代官所屋敷跡の標識
代官所屋敷跡、この先50mの標識。この先が何もありません。
工業港入り口
50m行った附近の周囲です
工業港入り口
50m行った附近の周囲です
工業港入り口
50m行った附近の周囲です。代官所や〜い!。

yahoo地図 延岡市から国道218号線を高千穂に向かう。八戸を過ぎ、暫らく行くと右手に案内板がたくさん出ているのですぐわかる(食堂の前)。そこを右折、山道を入ってゆくと道は二つに分かれるが、左に行かず、そのまま真っ直ぐ急な坂道を登って行く。この辺は結構ややこしいのですよ。30mくらい登ると突き当りを右折。30mくらい進むと案内板があります。

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舟の尾代官所

ここは、地元の人からお聞きした、代官所の跡附近の遠景である。竹林の上の杉木立の中附近で、今は何も残っていないとの事だった。


有馬氏時代の代官所は、代官は2名ないし3名の相役であり、藩の下級藩士で、普通5,60俵取りで、石高にすると15石から20石くらいになる。その下に勘定人が2人あり、事務職員として手附(てづけ)という職が2,3人あったが、これは高千穂郷士の中から任命されることが多かった。後世になると医者が置かれていた。代官所の職員は藩の職員であるので、小侍などが手附に任用されると、5人組からは除かれて藩士の5人組の中に入れられた。村の行政のために、村役人として庄屋1人、弁指(べんざし):(後の区長で現在の公民館長にあたる)大きな村落に1人、筆取(記録勘定人)1人、小触(こぶれ)1人、小触は管内の各弁指に庄屋の命を伝える役で、庄屋は今のように役場は無かったので自宅が役宅であった。

諸塚村史

関連サイト

botan 宮水代官所跡

舟の尾代官所が火災になったため、宮水に代官所を設け、そこに移った。

botan 延岡藩主有馬公

舟の尾に代官所を設けた延岡藩主です。

編集後記

幻の代官所跡。 「声はすれど姿は見えず」何処かで聞いた文句ですが、看板はあっても実態はわかりませんでした。この町でこのようなことは珍しい。歴史教育、観光に熱心な町と思っていましたので……。

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