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木喰五智館

木喰五智館の地図

木喰(もくじき)五智館:(西都市大字三宅3187)

木喰五智館は1996年(平成8年)、旧国分寺跡と思われる一角に建立された。

日向国分寺は、奈良時代、天平十三年(741)聖武天皇によって、仏教による国家鎮護の方針のもと、国ごとに国分寺・国分尼寺建立の詔(みことのり)が発せられ建築された。その広さは約4ヘクタールに も及び金堂・講堂・塔などがそびえていたという。

ところが荘園制度の発達により、国府の統制力は衰え、国分寺も衰退していく。日向国分寺もその例外ではなく、木喰上人が住職となった頃の国分寺はかなり縮小されたのものであったと思われる。

木喰は天明八年(1788年・71歳)の4月20日に三宅の国分寺に着いた。木喰上人は村人に請われ、約九年間、日向国分寺住職になっている。 ところが、三年目の寛政三年正月二十三日(1791)に舎殿や五智如来像を焼失した。 木喰上人は、七十歳過ぎの老体とは思えない体力や意志力で、国分寺の再興に力を注いだ。昼は托鉢をした。夜は「稚児ヶ池」に楠木の大樹を浮かべ、五智如来像を槌とノミで彫ったという。

参考:西都・西米良紀行(田浦チサ子著)

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国分寺跡前の道路。左側が国分寺。

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寺入り口の石柱の門。

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「国分寺跡」の刻字

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国分寺の守り神。右側の仁王様。

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左側の仁王様。

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本堂正面。

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威風堂々と鎮座する五智如来像。

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古い灯篭

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国分寺の跡だろうか。他にも数箇所ある。

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昔ながらの石段だろうか。

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この石も穴を掘った跡がある。

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明治時代の墓石とはこのことだろうか。

■銀杏の大木

記念碑 御智館の庭に樹齢800年の銀杏の大木がある。木喰上人はこの銀杏の立木に龕(がん)を造り、その中に小さな自刻像をいれ「この大樹が生い育ち、 樹皮が龕を包み去るとき、われ再び世に現れむ」といったという。現在、銀杏大樹は幹の上部で破損しているが、周囲から若い幹が育ち、しっかりと老木を包み込んでいる。

■国分寺跡の遺跡

拡大 日向国分寺は、天平勝宝八年(756)以前の建立と推定されている。柱穴や瓦なども発見されている。金堂のものと推定される掘込地形(ちぎょう)跡、回廊跡、溝の跡などが現出している。


国分寺と廃仏毀釈

木喰五智館看板 明治元年、仏法を廃し釈尊の教えを棄却するという「廃仏毀釈(きしゃく)」の「神仏分離令」が出された。この廃仏毀釈によって、奈良の興福寺の寺宝などが三日三晩燃え続けたという。 日向の地でも、廃仏毀釈の跡が見られて痛ましい。石塔が数個残るだけのわびしい寺跡もある。腕や首を切断された仏像もある。 木喰上人の再興した国分寺の堂宇も明治4年に同様の運命にあった。五智如来像は民家に移され、難を逃れているが、槍で眼を突かれた仏像もあったという。五智如来像も苦難の時代を生き延びてきたのである。 宮崎の文化遺産より


五智如来像

木喰五智館内には五智如来像が納められている。高さ3mを越す巨大な楠木の寄木造りである。これが74歳のお年寄りの出来ることか。そのバイタリティと信念は驚嘆に値する。私は60歳で人生を半分あきらめているが、それに比べて何という執着であろう。またその彫刻の大胆なタッチ、力強さ、貴重な教訓をいただいた気がした。
御本尊の大日如来を中心に、左から宝生如来・薬師如来・大日如来・阿弥陀如来・釈迦如来の五智如来像の順で並んでいる。

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宝生如来。

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薬師如来。

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大日如来。

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阿弥陀如来。

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釈迦如来。


木喰上人国分寺を去る

寛政九年(1797年・80歳)4月8日、国分寺再建に力を尽くした木喰上人は歌を残して日向国分寺を去った。

朝日さす その日に向かう国分寺 国安の人を守れ 五智山


近世の日向国分寺の運命

文化11年(1814)年から明治初期までの57年間は、寺の状況は不明である。明治4年(1871)に廃寺になるが、境内には明治8年(1875)権大僧都大越家一乗とか明治21年(1888)大越家泉教院などと記名のある墓石が残っている。廃寺後復寺し、明治中期まで国分寺は存続したものと考えられる。 明治20年に有志らが小堂を建てたが、台風で倒れた。明治23年、廃寺照明寺の建物を再び創建した。そして木喰上人が日向国分寺を去って二百年後の1996年(平成8年)に現在の木喰五智館が創建された。

宮崎の街道(宮崎県教職員互助会)

編集後記

仏像彫刻の良否など私には良くわかりませんが、ここに来たら、木喰上人の仏像に、思う存分出会うことができます。他にも幾つかの遺作はありますが、ほとんどが普段は見ることは出来ませんね。ここはすべてオープンなのです。そして又その仏像のおおらかな事、チョッとやそっとでは壊れそうもない頑丈な造り、また余分な装飾を省いた、木食の戒そのものともいえる簡素な造り、私でも造れそうな仏像です(ウソですよ〜)。それゆえに暖かさと親しみを覚えます。しかしここの管理者の方はたいしたものだと思います。おおらかな木喰上人の仏像のように……。都萬神社もそうでしたね〜。

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行きかた 西都市というのは何でわかり辛いのだろう。後で地図を見て書きましたが、あくまで概略です。219号線を妻の交差点から南下して24号線に入り、そのまま地図のように小丘を上がったところの左側です。

周辺見所

  西都原古墳

  石貫神社

  都萬神社

botan 三宅神社

関連サイト

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