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可愛権現神社

可愛権現神社地図

可愛(えの)岳山頂の鉾岩はニニギノミコトの御陵で、崇神天皇の御代、社殿をここに建て、可愛山大権現社と称した。高くそびえる可愛岳の頂上にある「鉾山」と言われるところをご陵墓であったとし、山腹に社殿を営んでいたこともあった。しかし人々の参詣に不便なため、さらに社殿を麓の「江」(可愛)という里に移し、「可愛山稜大権現」としてあがめて奉仕してきた。(明治15年 「可愛神社及び御陵墓伝説地於ける沿革)

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可愛大権現神社入り口
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参道
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昔の参道
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鳥居と拝殿遠景
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拝殿
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拝殿内部
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本殿
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神社裏の地蔵様
point 北川町では、ニニギニミコトの山稜について、国が指定している「伝説地可愛山陵」とは別に、可愛岳(727m)を山稜とする伝承が古くからある。可愛岳は西南戦争で、西郷軍の鹿児島・城山への最後の敗走が始まるところでもある。政府軍もよもや此処を通るとは思っても無かったほど険しい山である。可愛岳は行縢山とともに古代から信仰の山であった。
point 頂に霊石(大岩明神)と岩の祠がある。明和三年(1766)の正月16日、三左衛門という人がこの神を深く信仰して参詣していたところ、神のお告げで霊石を見つけ、それから人々が参詣するようになったという。長井村俵野における「御陵墓伝地」はニニギニミコトの御陵で口伝によると、人皇十代崇神天皇の65年、勅旨を差し向けて以来、久しく朝廷の祈願所になっていた。その後次第に衰退、御陵が何処にあったかも解らないようになってしまった。
point 寛政4(1792)年7月14日、高山彦九郎(1747〜93)は可愛岳に登り、「筑紫日記」の中でこう記している。「可愛村に着く。北川でみそぎをする。石橋を渡り、鳥居を入る。壱丁(約800m)上ってゆくと山間に可愛山陵大権現の社殿が南南東に向かって建っている。ニニギノミコトを祀る。西の山を可愛岳という。これを山稜と伝えている。可愛岳山上まで一里(4km)の登り道である。」大正三年、考古学者鳥居龍三は可愛岳頂上の巨石群を調査。拝み石、鉾石、盤鏡などを一緒にして巨石遺跡とした。
 
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俵野からの日向街道
日向街道からの出口日向街道を俵野から峠を越えてきた出口です。
出口にある庚申塔出口にある庚申塔群です。往時のままなのでしょう。ここが日向街道であったことを示しています。
出口にある庚申塔 神社の奥にあるもう一つの出口です。
地元の人にも聞いたのですが、ご他聞にもれず地元の人は興味が無いらしくよく解りませんでした。