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新しき村

新しき村の地図

新しき村:(宮崎県児湯郡木城町大字石河内)

木城町の上流、尾鈴山麓に小丸川が、U字型に極端に突出している段丘に「新しき村」はある。いや、あったというべきだろう。白樺派の作家武者小路実篤が、日向入りした大正7年の雑誌「白樺」通信で、「非常に美しい」と述べている小丸川の渓谷も、ダムが建設され、実篤が、何時も散策していた川原も、名づけた「ロダンの石」も今はない。また、この地は戦国時代、石城という城砦があり、数々の歴史に満ちた地域でもある。どのような因果で、実篤はこの辺境の地に理想郷を作ろうとしたのであろう。実篤が去った後。仲間も挫折し、一人二人と去り、残った人も実篤が新しく作った埼玉の村に移って行った。ここには杉山正雄と房子(実篤の前夫人)の二人だけが残った。愛情に満ちた生活であったとしても、戦中戦後を通して50余年、この不自由な土地で、さぞや困難辛苦な生活であったろうことは、察するに容易い。屡々空(るくう)とは「道(真理)に最も近いが、食事にも事欠くほどの貧しいくらし」と言う意味らしい。

実篤の文化遺産より、私はこの杉山夫妻の、その後の50年に、何ともいえない哀歓を感じて、是非行ってみたい所であった。

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新しき村前景(展望台より)

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新しき村入り口石柱と百間道路

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心の字池

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屡々空の墓石(杉山夫妻)電気柵で入れない

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百間道路と資料館

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十字路(左:資料館、右:民家、真っ直ぐ:石碑)

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孟宗竹の茂る坂道

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この山際の奥に鍬入れの碑(仮称)がある

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鍬入れの碑(仮称)文面は下にあるよ

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何時も眺めたであろう尾鈴の山々

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杉山夫婦も見たであろう湖岸の大木

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ダム湖水面

荒地の端に高さ約2mの石碑

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此処は新しき村誕生の 地なり 全ての人が天命を全う することを理想として 我等が最初に鍬入れ せし處(ところ)也   昭和四十三年(1968)            武者小路実篤
新しき村は、大正七年(1918)彫刻家ロダンの生誕の日である11月14日に開村した。しかし、同12年には、武者小路が離村した。理想と現実の違い、あまりの低い生産性のために、その経済的事由から作家活動に専念して、理想郷の建設を援助するという大義もあったであろうが、同じところにかっての妻と杉山、そして今の自分の妻の安子。日々顔をあわさねばならない、四者巴の愛のしがらみから、逃避したのではなかろうか。そして昭和14年、ダム建設のための土地収用を機に埼玉県に移され、日向の地における試みは終焉する。

日向新しき村 武者小路実篤記念館

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開館案内

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新しく出来た資料館

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資料館の裏

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日向新しき村の石碑

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館内

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館内の昔の写真

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村人たち、後列右から四人目が実篤、五人目が房子婦人。あれっ忘れた。

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新しき村の精神額

編集後記
実篤資料館で親子連れの妙齢の御婦人に出会った。志賀直哉を学会で発表すために、原点である実篤の「新しき村」を取材に来たという話であった。何と千葉県からはるばると来られたとの事。無骨な私には文学は無縁な話であるが、帰って調べて見た。志賀直哉、そうか実篤と同様やはり白樺派の作家であり。二十数回も住まいを変えた作家。「一所不住」いい言葉を覚えた。しかし、そのように遠くからも見学に来られるにしては、「新しき村」の内容はお粗末。「新しき村」と標識だけは良いが、個人の管理にあまえ、行政は手を入れていない感じ。村落の跡も、倒れている竹を乗り越えて行かねばならないほど、荒れ放題であった。
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行きかた 木城町から9号線を石河内へ向かう。白木八重の台地を越え、少し降りたあたりの道路脇に展望所がある。ここから、文化で言えば「新しき村」、史跡で言えば「石城跡」が一面眼下に広がっている。下におりてダムを右折。しばらく行くと左手に橋があるので左折。そこから坂道を上ると、発電所の施設案内所があるので、左折して山道を少し登り、百間道路に入ってゆく。入ったらすぐ村の標石。そして左手のクヌギの林の中に、「心字の池」と「屡々空の墓碑」。そこを過ぎると小盆地が開け、十字路に至る。そこに車を止め、左端の民家が資料館である。真っ直ぐ坂道を降りてゆくと、昔は畑だったのだろうか。広い荒地に出る。その荒地の一番奥に石碑が建っている。荒地を過ぎて真っ直ぐ行くとダム辺に至る。

周辺見所

botan高城城址

botan比木神社

botan石河内展望台

botan武者小路実篤文学碑

関連サイト

botan 新しき村雑記

新しき村についてのその他いろいろです。

botan 杉山夫妻

最後まで新しき村を守ったご夫婦です。

botan 石城城址

新しき村を造った場所は戦国時代の石城城址です。

記念碑

ダム建設前の小丸川です。対岸の新しき村の様子がよくわかります。努力して造ったであろう肥沃な田畑の様子が見えます。

記念碑 父の記念館を祝して  平成十六年夏 辰子

実篤のお子さんの寄贈だろうか?。 記念館前の記念碑。