安楽寺

安楽寺 :浄土真宗本願寺派(宮崎県都城市山之口町 富吉 3527)

国道269号線が花木川と交わる地点、冨吉橋の角、安楽寺は鎮座する。少し行けば、現存する「田島隠れ念仏洞」をはじめ、多くの隠れ念仏洞がある。薩摩藩時代、その生活の苦しさゆえか、隠れ念仏が流行していたのだろう。寺内には「殉教の碑」が建てられ、亡くなった信者たちの慰霊を弔っている。そのたもとには、恐ろしい拷問石、当時信者達の改宗などに使われていたのであろうか、当時の宗教弾圧の悲惨さを物語っている。

冨吉橋より
冨吉橋より
山門
山門
イチョウの巨木
イチョウの巨木
親鸞上人像
親鸞上人像
本殿
本殿      
親鸞上人像の刻字
親鸞上人像の刻字
慰霊碑周辺
慰霊碑周辺(本堂向かって左側)
慰霊碑と拷問石
慰霊碑と拷問石

田島かくれ念仏洞

近くにある念仏洞だが、現存している。。

隠れ念仏とは

信長も手を焼いた一向宗弾圧の顛末。

安楽寺由来

安政3年(1856)飫肥藩主伊藤祐帰によって寺号公称の許可を得、今の宮崎郡清武町田上に創建(初代は清武の伝道僧 佐々木深道)。

一向宗弾圧下の薩摩、諸県地方の薩摩宗教難民の駆け込み寺としても知られていた。当時薩摩藩の宗教弾圧は大変厳しいものだったが、安楽寺住職達の薩摩各地での潜入布教活動もあって、一向宗信者は燐藩の飫肥藩に逃れて来ていた。

明治26年に信徒の希望で現在地に寺号(寺の名前)移転した。

一向宗への弾圧

拷問石

 島津家は島津義弘が第2次朝鮮出兵した頃から、浄土真宗(一宗)を禁制にした。信者達はそれでも隠れ念仏洞などでひそかに信仰を続けた。業を煮やした島津家は、信仰を抑え込むために、拷問石などの責苦で自白を迫った。白状すれば禅宗に改宗を命じられ、拒否すれば磔。獄門に処せられた。 特に武士階級に対する処罰は厳しく、血判の上改宗を誓っても処罰され、重ければ切腹、軽くても家禄没収の上、武士階級の剥奪、百姓として追放処分を受けた。

上の写真が拷問に使われた石である。幅は50cmぐらい、長さはいろいろ、徐々に重くするような感じ、高さは目測だが10cmぐらい、角材を並べた上に正座させられ、膝の上にこの重しを置く。重さだけでなしに、脛は角材で千切れてゆく。想像しただけで身震いする。

編集後記

余談になるが、ここに来る前に時間があったので、まだ早朝の薄暗い中、名も無い隠れ念仏洞にGoogleMapGPSだけを頼りに行ってみた。夜も明けきれていない、朝もやの中を森の奥へ奥へと導かれてゆく。道もダート路に変わった。やがて目的地に着いた。しかし何度上下しても深い森だけ、あるはずの念仏洞は消えていた。今は町中になっている念仏洞も、昔はそのような深い森の中だったに違いない。

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