Back Topへ

杉ヶ越大明神の伝説

明治維新までは毎年7月より9月までは「道塞がり」といって、僧侶、婦人、鳴り物、果物を携帯している者は通行出来なかった。この禁を犯せば暴風雨が必ず起こり、村人はこれを名付けて「大明神暴れ」と言った。今も尚杉ヶ越に接する村々には道塞がりの間婦女の通行を差し止める風習が残っている。9月9日の例祭は道明ヶ祭りといい、家族打ちそろって参拝する。尚例祭日には、鳥居と鳥居の間に雨が降るという不思議な現象を見ることが多いという。

戦国の世、大友宗麟は伊藤氏を助けて島津氏との戦いに赴くときにここを通り、「戦勝して帰るときはこの太刀を奉納しますので、守護をお願いします」と戦勝を祈願したが、凱旋して帰るとき、この坂下ろうとすると、刀がいきなり鞘から滑り落ちたため、その霊験のあらたかなることに驚き「只今拝刀を奉納します」と刀で大杉を貫いて折ったという。近年まで刀刃の折れ口がどこそこの木に残っていたという話もある。宗麟が杉ヶ越を越えて逃げ帰るとき、薩軍も直後に迫っていまたが、木浦に至った時、飯を炊く準備をしているふりして薪の中に火薬を仕込み、あわてて逃走したように見せかけた。薩軍はまんまとはまり、このマキに火をつけ飯を炊こうとしたところ火薬が爆発して多大な被害を被ったという。このとき初めて島津軍では火薬の存在を知ったという。

西南戦争では、薩軍がこの宮に立てこもった際、境内の老杉が道をふさぐので、切り倒したところ、たちまち生血がしたたり、切り離してもすぐには倒れず、3日後にやっと倒れたという。その後倒された老杉は忽然と消えたという。また切り倒した薩軍の隊長は水に落ちて溺死し、次の指揮官は失明したという。

杉ヶ越大明神

日向ものしり帳(石川恒太郎著)

Copyright©2008 nAn All rights reserved.