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神門神幸祭り(師走祭り)

福智王の神門神社への神幸であり、年に一度の父禎嘉王に会う行事である。昭和30年代後半まで徒歩による道程で九泊十日を要していた。比木神社より神門神社まで、約90km(往復180km)である。現在は旧暦12月18日に近い金・土・日の二泊三日で行われ、車を利用している。行きを「上りまし」帰りを「下りまし」といい、御霊信仰や農耕・安産などの儀礼を織り込んだ伝承行事でもある。 現在は次のように行われている。

初日(十八日):

神職6人・氏子代表12名が「御笠袋(袋神=福智王の神霊)を奉じ、氏子らに見送られて比木神社を出発する。禎嘉王が上陸したという伝承地の金ヶ浜(日向市)にて海へ入り禊(みそぎ)の儀を行う。卸児(おろしご)(東郷町)を経て、中水流(東郷町)にて神門神社側の出迎えを受ける。伊佐賀神社にて行列を組み、禎嘉王の御陵に参る(御陵鎮めの儀)。南郷中学校で御笠袋の「御笠取りの儀」を行う。神門神社鳥居にて「御着きの神事」を行い、御笠袋を本殿に納める。 以上にて「上りまし」の神事を終え、直会(なおらい)が行われて疲れを休める。

・二日目(十九日):

午前中に本殿にて秘儀の「お衣替(きぬがえ)」が行われる。午後は両社の御笠袋を伴い、ドン太郎塚(益美太郎の塚)に参拝し、「弓矢神楽(将軍舞)を奉納する。続いて山宮にて「田植え舞」を奉納する。近くの川に降りて洗濯行事を行い、同時に畦(堤)に火を放つ。一行は社殿に向かい、神門(父神)より比木(子神)への「真草(稲穂)さずけの儀」を行う。夜は両者合同の「半夜神楽」を奉納する。

・三日目(二十日):

早朝に「別れの座」となる。神饌(しんせん)の魚を降し塩焼きにして。双方一箸ずつ食する。さらの「ヘグロ(鍋墨)塗り」を行う。(再び離れ離れになる悲しみを笑いに変えるためにヘグロを塗ったのが始まりという。炊事に明け暮れる女性の鬱憤ばらしともいう。 いよいよ「下りまし」となる。神門側の接待役の婦人らは一の鳥居付近の畦に立ち、鍋・ザル・スリコギなどの炊事場の用具を打ち振って見送る。その時「オサラバー」の掛け声で送りだす。

■神門神社へ・・・父禎嘉王の眠る神社である。

高鍋・木城・串間紀行 田浦チサコ著

居酒屋なんじゃろか