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関月尼

陽明学者大塩平八郎とその娘関月尼 天保の大飢饉の際、窮民を救うために兵を起こし、失敗して自殺。関月尼(本名:小山せき)はこの大塩平八郎の娘と言われており、女流歌人として知られる。生まれてまもなく生母と死別し、叔母に育てられたが、その間苦難逆境に遭い、苦悶の末十代後半で尼僧生活に入ったと言われる。遊芸の道に優れ、三味線、琴、鼓、舞、和歌等に秀でていたと言う。「関月」の「関」は小山せきの「関」で「月」は師匠である大田垣蓮月の「月」をもらっている。江戸後期(弘化の末か嘉永の初め頃)24〜25歳の頃延岡に落ちてきたと言われ、一時島野浦島に渡っていたが、その後千光寺住職に嫁ぎ、余生をここで過ごした。この間地元婦人たちに縫い針や和歌等を教えたが、明治18年(1885)63歳で没した。墓は千光寺にあり、自筆の歌が刻まれている。

きのふありて今日はなき身と消えゆくも 残るも同じ道芝の露

千光寺

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