Back Topへ

御田祭

昭和63年3月8日、大字田代地区に伝わる「御田祭(おんださい)」が県の無形民族文化財に指定された。指定内容は「田代神社の御田祭と農耕行事」として、旧3月3日に行われる春の節句祭りから11月の大祭にいたる一連の祭事、稲作行事を含めて指定されている。 この祭事に降臨を仰ぐ主祭神「ヒコホホデミノミコト(彦火火出見命)の座する場所が、日陰山(ひかげやま)(通称権現山)の中腹にせり出した岩棚の上に建つ「田代神社」である。明治4年に改称される以前は一般に「霧島権現宮」と称せられ、創建は長元5年(1032)の勧請と伝わっている。

西郷村史

御田祭

御田祭は毎年7月7日を例祭とし、神官・祝子(ほおり)をはじめ、氏子総代及び地元役員と、昔から世襲制(現在約10戸の農家が残っている)によって受け継がれている特殊な役のミヨド(男役で神様のお供え物の準備や神官・祝子の接待役)、ノボリモチ(男役でのぼりを担ぎ御神幸行列に加わる)、ウナリ(女役で御神幸に加わり、上の宮田から赤飯の握り飯と梅干を参詣者に配り接待する)などで進められている。

田代神社は山中深くあるために、神輿などは山すその上円野(うえんの)神社に置かれている。祭りの当日早朝、上円野神社へ神官らが神輿を迎えに行き、降神神事を行い、御神幸の行列が上の宮田に向かい、田植えをする。同じ頃中の宮田では若者が裸馬を乗り入れ、牛もこの後ろに続き、泥しぶきを上げながら勇壮に走らせる行事がある。

中の宮田の横には、年の神神社があってその横に丁度日陰山中腹の田代神社を真正面に仰ぐ角度に鳥居が建っており、神輿の御座所となる。上の宮田の田植えが終わり、御神幸は中の宮田へと進む。年の神神社で地割神楽などが舞われた後、神輿は中の宮田に入り、泥田のなかで勇壮な神輿振りを幾度も繰り返し、祭りは最高潮に達する。

その後、宮田中央に張られた綱に向かって、早乙女による植え始めを行い、昔から伝わる田植え唄と太鼓・はやしに合せて一般の参加者や中学校の生徒により後退しながら田植えが行われ、のち、神輿は年の神神社をたち、上円野神社に帰って祭りが終わる。このようにきわめて神・人・牛馬一体となった情緒豊かな民事牛耳を今に伝えている。

宮崎の歴史散歩

御田祭リンク集

私はまだ御田祭を見たことがありません。どうも祭りは苦手で機会があったら行ってきますね。下記写真集は他サイトですが充実しています。

■御田祭写真集・・・宮崎観光写真

■御田祭写真集・・・グルネット宮崎


■年乃神神社・・・御田祭はこの神社の横の「中の宮田」で行われます。

Copyright©2008 nAn All rights reserved.