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織田兄弟の墓と伝説

  伝説によれば有馬永純が杢之丞の履物をふんだところ、その履物が永純の足にくっついて離れなくなり、杢之丞が「許す」と言ったところ、その履物は離れたという。これを聞いた家老が殿に仕える身分でありながら殿に「許す」とは何事かと立腹し、二人の兄弟をそれぞれ深角と平底の牢獄に送ったと伝えられている。杢之丞は平底に幽閉された。杢之丞が牢にいるときに支えた老婆がいて、何くれと無く杢之丞の世話をしてくれるので、杢之丞は老婆に「何なりとかなえてやるから申してみなさい」と話しかけたところ、老婆は特にお願いすることはありませんが、水に不自由しております。家の側に井戸があったらどんなに便利なことでしょう」と話した。杢之丞は老婆に「それでは水が欲しいと思うところにこれを立ててみなさい」と言って一振りの短刀を渡した。老婆は大喜びでそれを貰い、家の附近の小高い丘の岩場に安置して祈ると、不思議なことにその岩場からコンコンと水が湧き出して水の不自由が無くなったと伝えられている。数年して老婆は亡くなったが、亡くなる前に家のものに、「不幸が生じた場合は、このありがたい神水を使用するな」と言い残した。それ以来この家の葬儀があると水は枯れ、遠方から水を汲んだといわれており、昭和2年に老婆の子孫である平崎友太郎の葬儀のときも水が枯れ、遠方より水を汲んだといわれる。その家は今は無いが、泉の水も減少している。その泉の場所は平底集落から約1.2km南の崎野で影待集落の上方の森にあり、水神様として祀っている。また平崎家の墓も近くにある。 織田兄弟は高千穂代官の西与平衛によって毒殺された。一方都にいた兄弟の母は、二人が日向に流されたと聞いて、はるばる都から兄弟をたづねて日向に下る途中、舟の中で二人が殺された話を聞き悲しみのあまり、身を投じて兄弟の後を追ったという物語が残されている。

深角神社

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