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延岡藩主内藤氏

内藤氏家紋 延享4(1747)年3月19日、磐城(いわき)国平城主内藤備後守政樹(まさたつ)が、牧野氏の後任として、7万石で延岡城主を命じられ、8月に赴任した。その支配地は延岡だけでなく、臼杵郡、宮崎郡、豊後国大分、国東(くにさき)速水五郡の中で7万石であったが、この時以来内藤氏は明治維新に至るまで8代124年間、延岡城主として前記の地方を支配した。内藤氏になってからの120年間は非常に天災が多く、天災ばかりでなく、百姓騒動も又度々であったが、次に示す歴史藩主表のように、三代政修(まさつぐ)が、尾張中納言徳川家勝の子であり、徳川家の親藩であったため政治不行き届きは多めに見られた点も少なくないが、その代わり幕末勤皇倒幕時代には、幕府側に立たねばならない状態で、明治維新に当たっては不利な立場に立たされたようである。

内藤氏代々の事跡を代毎に列挙することは困難なので、一応歴代藩主を掲げると次のようである。版籍奉還まで続いて、明治になって子爵を授かり、華族に列せられた。

@初代 政樹(まさたつ) 備後守  享保3年5月家督を継ぐ。                   享保4年8月延岡藩主になり                   宝暦6年10月退職                   明和3年9月没 64歳 A二代 政陽(まさあき) 能登守  実は内藤山城守政里の子で。                   政樹の養子になり                   宝暦6年家督を継ぐ                   天明元年江戸で没す 45歳 B三代 政脩(まさたつ) 備後守  実は尾張大納言宗勝の子。                   政脩の養子になり                   明和7年家督を継ぐ                   寛政2年隠居                   文化12年7月没 64歳 C四代 政韻(まさつぐ) 能登守  政陽次男、政脩の養子。                   寛政2年8月家督を継ぐ                   享和2年7月没 30歳                  D五代 政和(まさとも) 備後守  政修の次男、政韻の養子。                   享和2年10月家督を継ぐ                   文化3年10月没 18歳 E六代 政順(まさより) 備後守  政韻の次男、夫人は七代政義の姉。                   文化3年12月家督を継ぐ                   天保5年8月没 35歳 F七代 政義(まさよし) 能登守  実は大老井伊掃部頭直亮弟政順養子。                   天保5年6月家督を継ぐ                   文久2年10月没 G八代 政挙(まさたか) 備後守  実は遠州掛川城主大田資始(すけもと)の末子。                   政義の養子。                   文久2年6月家督を継ぐ                   明治2年延岡県知事                   子爵                   昭和2年5月没 78歳

諸塚村史


■延岡城・・・内藤氏の居城跡です。

■内藤記念館・・・内藤氏の私邸跡です。

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