Back Topへ

延岡城炎上

天和3年2月24日の亥の下刻(午後11時半ごろ)、延岡藩は有馬永純の時代、この本小路の侍屋敷から火が出て、激しい北風にあおられ、本小路の上士屋敷をひとなめにし、さらに火は城山の草木に燃え移って、遂に城に燃え移りました。そして城の門を焼き、長屋から二階門、二階やぐらを焼き、さらに城の頂上にあった三階の天守閣を焼いた火事として、日向の火災史上に残る大火であった。延岡城は時の城主、高橋元種が関が原の合戦から帰った翌年の慶長6年から同8年まで、足かけ3年に渡って築いた城ですが、延岡山という丘陵を城としたもので、頂上の本丸には三階の天守閣が有りました。また二の丸には二階櫓や二階門等が有りました。しかし高橋氏が改易になり、有馬氏が城主となった間に次第に壊れてきたので、承応3年有馬康純の時代にこの城の大改修を行いました。この時の修築は承応3年の正月から明暦元年の6月まで、一年半もかかって修築したのもので、城頭の天守閣は三階で、一階の広さは南北6間、東西5間で、30坪、高さが7間9尺6寸とありますから、51尺6寸すなわち15m60cmばかりあったのです。この他2階櫓や2階門、冠木門(かぶきもん)などの他、隅矢倉や番所、土蔵、長屋などの建物が有ったのですが、修理の終わった翌年の明暦2年に、城主の有馬康純は有名な城山の鐘を造って今山八幡宮に奉納したのです。この修築が終わって28年目の天和3年に、天守閣はじめ多くの建物が焼けてしまったのです。

日向ものしり帳(石川恒太郎著)

居酒屋なんじゃろか