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見立道路

見立道路(現在の日之影・宇目線)の開削は、見立鉱山の開発と共に始められた。大正元年(1912)に旧延岡藩主内藤家が見立鉱山の開発に着手し、大正6年(1917)に日之影〜川の詰の道路開設の嘆願書が沿線住民から出され、また見立鉱業所の笹原鷲太郎氏が道路開削の許可願いを県に提出しており、この前後に小路が始まったものと思われる。鉱山が栄え営林署関係事業が始まると、業者の出入りが多くなり、道路は馬車道から自動車道に改良された。昭和20年の終戦前には見立鉱山の物資を運ぶトラック数台が毎日、延岡と鉱山間を定期的に運行した。その後見立道路は昭和34年に県道に編入され、全線舗装され県北と大分県を結ぶ重要な幹線道路となった。

拡大 拡大 昭和初期には見立鉱山〜日之影間に乗合自動車が運行されるようになり、昭和20年の見立鉱山休業後もしばらく運行したが、その後運行を中止した。見立鉱山の再開にあわせて、昭和31年7月から見立鉱山〜日之影間に宮崎交通株式会社の路線バス運行が始まり、昭和34年に運行区間が水無平まで延長された。その後昭和59年の高千穂営林署水無平営業所閉鎖にともない、運行区間が中の詰まで短縮され、さらに近年乗車客が減少し、平成10年4月5日に廃止された。現在は週3日、1日に2往復タクシーが運行されている。

引用:日之影町史
 

英国館

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