Back Topへ

御手洗神社の伝説

波瀬神社とともに、あらたかな御利益をいただく神様であり、御神木のイチの木は樹齢が検討もつかないほどの大木であった。根元は直径1mもある大きなもので、中央から二又にになり、それに藤が絡みついており、風が吹くたびにバリバリと大きな音がしていた。終戦直後に二又のうち一本が西のほうに倒れたので、残る一本もいつかは倒れると心配されていたが、水神様は特に刃物を嫌われるということで、自然に倒れるのを待つほかは無かった。すると十数年前の夕方4時頃、大音響と共に今度は東のほうに倒れた。一番人通りの多い時間帯であったが、事故が無かったのは幸いであった。

庭に水神様の池があるが、以前に灯明台を献納された延岡の信者一同が団体で訪れ、今でもこの池の水を汲んで持って帰ると言う。その池のすぐ後ろに社が建っている。その昔青木幾五郎という人が、延岡高千穂通りの荷馬車屋と共に通行中、病気になり急に目が見えなくなってしまった。幾五郎は連れの人に「今度高千穂に行ったら帰りに御手洗水神の水を貰ってきてくれ」と頼んだ。連れの人は高千穂まで来たが、帰り荷水を貰うのを忘れ、気がついたときは曾木(北方町)を過ぎていた。しかし、幾五郎を案じたその連れは近くで瓶を貰い、波瀬まで引き返して池の水を汲んで帰った。幾五郎はその水を神棚に供え、「何とぞ目が治りますように」と祈りながら、水を目に付けたり飲んだりしていたが、そのうちに効き目が現われて本当に目が見えるようになった。喜んだ幾五郎が願成就に大正7年に建てたのがこの社だという。

またここの鳥居には、「大正8年延岡紺屋町吉田タネ」という記されているが、この人は子宮癌にかかり、医者も薬も色々変えて養生してみたが、一向に良くならないので、信仰の道に入り、方々を参拝して遂に日之影まで足を伸ばし、見立の勘太郎水神で行をしているうち、熱中しすぎて下の淵に飛び込んでしまった。淵の神様は「お前の身体でこんなところに入ってはならん」と救い上げられたが、正気になってみると腰に御手洗水神ののぼりが巻きついていたので、「これはどうしても波瀬に行かねば」と、すぐ御手洗水神に行き、一生懸命祈願したところ全快したという話である。そしてそのお礼として奉納されたのがこの鳥居という。吉田さんは終戦後もよく参拝されていたが、亡くなった現在でも親族の方が見えられ、お神酒やお供えを上げられるという。また延岡や五ヶ瀬方面からの参拝者も多い。
 

神太郎水神・・・五ヶ瀬五大水神の親分、日之影川、川詰の神太郎水神です。

日之影町史

Copyright©2008 nAn All rights reserved.