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槇峰鉱山

「閉山後もう一年槇峰を訪ねて」と題して昭和43年1月24日の「宮崎に日日新聞」は次の如く書いている。 「村は死んだ、いや死に掛かって見る影もない始末じゃ」東臼杵郡北方村で会った松村宗一さん(66)は無常を噛みしめるようにつぶやいた。九州一の銅山として、300年の歴史を誇っていた三菱金属工業槇峰鉱山の火が消えて一年、槇峰地区の人たちにとって、痛い足を引きずって歩くような辛い日々であった。ヤマの閉山によって村が受けた打撃は決定的である。やがて農林中心の姿として再建する日はまだ遠い。ヤマを訪ねた。正確にはヤマの残骸を訪ねた。国道218号線(旧国道)の宮交槇峰バス停横の村道に折れて車で約10分、五ケ瀬川支流の綱の瀬川を挟んで住家が山肌にへばりついて点在している。この一帯が江戸、明治、大正、昭和とツルハシの音を高鳴らした「あかがねの町」槇峰鉱山だ。だが今目に付くものと言えば、山肌をかきむしったような坑道跡、鉱石を運搬したトロッコのレールなどが赤黒く錆付き、泥にまみれて底冷えする寒さの中に凍りついたように動かない。その原型にかっての繁栄を偲べるとしても現実には会社が見切りをつけた「捨て山」という表現しか思いつかない。同鉱山は4,5年前から鉱脈が尻すぼみになり、赤字経営から企業縮小が始まった。後は斜陽産業が辿る筋書き通りの顛末で昭和42年2月28日閉山した。

(北川町史より)
 

槇峰鉱山
 

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