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百済王禎嘉伝説

百済王禎嘉伝説は「比木大明神縁起(ひきだいみょうじんえんぎ)」によると、 西暦660年百済は唐と新羅の連合軍に攻め滅ぼされ、百済国の王族や武官などおびただしい人々が日本に亡命した。しばらくは大和の国に落ち着いたが、やがて大和の国の動乱に巻き込まれ、九州に向かった。百済の王族の中の禎嘉王は安芸国の厳島(現広島県宮島)より日向国臼杵郡金ヶ浜(日向市)に漂着し、占いにより神門に、そして長子福智王は日向国児湯郡蚊口浦(現高鍋町)に漂着し、火充(ひき):現木城町比木、にそれぞれ宮居を定めたのであった。その後新羅の追討軍が押し寄せ、禎嘉王の軍は神門の入り口の伊佐賀(いさが)で迎え撃ち、次子華智王は戦死、父禎嘉王も越表中水流(なかずる)の伊佐賀峠で賊徒の流れ矢に当たって戦死したが、救援にかけつけた火充の福智王が防戦してようやく撃退することが出来た。禎嘉王は神門塚の原に埋葬され、神門大明神として祀られた。

神門神社の師走祭り

今も尚、旧暦12月18日から3日間の神門神社の師走祭りには、福智王の比木神社(現木城町。古くは火充と書いたが近郷にたびたび火災が起こったので比木に改めた)から90kmの遠路を神官・氏子に守られた御神体の神幸があり、全国的にもほとんど例のない2社合同の祭りが行われえている。1947(昭和22)年頃までこの師走祭りは9泊10日にわたって行われ、比木から神門間の道中は祭典や神楽で賑わった。各地の禊(みそぎ)や野火の饗宴、住民との交歓などのなごやかな祭りの絵巻物が繰り広げられたが、現在は2泊3日の神門中心の祭りとなっている。

神門神社・・・お父さんの禎嘉王を祀る神社です。

比木神社・・・息子の福智王を祀る神社です。

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