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ニニギノミコトと木華開耶姫

「ニニギノミコトは、ある日、笹妙の御前(みさき)で美しい乙女に会われた。尊が「そなたは誰の娘ですか?」とお聞きになると、乙女は「私は大山津見神の娘で名を木華開耶姫(このはなさくやひめ)と申します」と答えられた。尊が「私はそなたを妻にしたい」と申されると、姫は「私はご返事をしかねます。私の父が何とか申し上げましょう」といわれた。そこで尊は大山津見神に申し入れをなさると大山津見神はたいそうお喜びになり、姫の姉の磐長姫(いわながひめ)まで副えてたくさんの礼物とともに尊のもとへ奉られた。しかし姉君の方は醜かったので父の元へ送り返された。大山津見神は「私が姉の磐長姫を送ったのは、尊が石のように御堅固であらせられるように。また木華開耶姫を贈ったのは、尊が花のように御繁栄あそばされるようにとの心であったのに、そういう気持ちも分からず、 磐長姫を帰したからには、天つ神の御子の命は、木の花のようにはかないものになろう」と言ったそうです。この話は古事記が書かれた頃には代々天皇の在位年数が少なく、寿命も50歳を越えることは稀であったことなどが反映されているのでしょう。
笹妙の御前(みさき)は、普通に薩摩の加世田だという。しかし今日の日向の中にあると見るのが妥当だろう。日向国史は、「宮崎市下北方の丘陵をさせるべし」といっている。
 

笹妙の御前といわれる愛宕山
 

引用:日向の伝説(鈴木健一郎)

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