Back Topへ

寒山拾得

拡大

寒山拾得(かんざんじっとく):

唐代の僧、寒山と拾得は中国天台山にいた仙人という。ぼろぼろの衣服に蓬髪(ほうはつ)であったという。 地もとの人には「かんかんさん」の愛称で親しまれ、毎年5月10日に「かんかん祭り」も行われているという。高さ95cmの寒山拾得像の足下にお神酒や線香が供えられている。地もとの人たちの守り神なのだろう。 寒山像は顔に笑みを浮かべて、どこかを指差している。拾得像は穏やかな表情で箒を持っている。ところが寒山像の顔から胸の辺りまで。一太刀を浴びたような痕跡がくっきりと付いている。寒山拾得像の説明に次のように記してある。 秋月藩時は江戸麻布の藩邸に置かれてあった物で、夜半邸内を歩き回る怪しいものがいるので、宿直の士が妖怪の仕業と待ち伏せて、一刀切りつけたところ、手ごたえは有ったが消えうせ、翌日その士は高熱を発して、邸内にあった石像に刀痕があったという。その後お家に何かあるとこの傷がはっきり出て夜鳴きして知らしめるという。霊験著しくよく祈願がかなうという。 寒山拾得像は元串間にあった。それを秋月氏が江戸藩邸に移した。明治時代に秋月種樹(11代藩主)が湘南片瀬の別邸に移した。そして大正はじめに高鍋城に移したという。城址西南の石段を登りつめたところ(二の丸跡)に建っている。

寒山拾得石像の背面には次の銘が刻されている

天文十八巳酉孟夏浅日  富□日山人一箇老袖□安置  大工 文甫

寒山拾得の詩

生と死の(たと)えを(し)らんと欲せば (しばら)く氷と水を(も)って(たと)えん 水結ぽるれば即ち氷と成り 氷(と)くれば(かえ)って水と成る (すで)に死すれば必ず(まさ)に生きるべく 出で生まるれば(ま)(また)に死す 氷と水とは相損なわず 生と死と(ま)(ふた)つながらに美し

高鍋・木城・串間紀行(田浦チサ子著)

高鍋城(舞鶴城)・・・寒山拾得の石像があります。。

編集後記

刀で切られたような跡が残っています。伝説が何となく真実味を帯びてきます。

Copyright©2008 nAn All rights reserved.