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板碑について

拡大 ■板碑とは: 日本における塔婆の一種である板碑は、板状の頭部を三角形とし、その下に二条の切込みを作る。その下方に、梵字・仏像・塔婆・銘文等を刻むのが一般的である。梵字としては、大日・釈迦・薬師・阿弥陀・文殊・不動・十三仏の種字、光明真言を刻する。 仏像としては、地蔵・観音・阿弥陀・阿弥陀三尊のものが多い。 板碑は、供養追善のため、墓の上や墓の辺に建てたものとされている。鎌倉時代より室町時代にかけて、関東地方・徳島県地方を中心に盛んに建立された。

高鍋・木城・串間紀行(田浦チサ子著)

板碑詳細……引用:鎌倉街道

分布地域は主に関東であるが、日本全国に分布する。設立時期は、鎌倉時代〜室町時代前期に集中している。分布地域も、鎌倉武士の本貫地とその所領に限られ、鎌倉武士の信仰に強く関連すると考えられている。 種類としては追善(順修)供養、逆修板碑などがある。形状や石材、分布地域によって武蔵型、下総型などに分類される。 ちなみに武蔵型とは秩父・長瀞地域から産出される緑泥片岩という青みがかった石材で造られたものをさすが、阿波周辺域からも同様の石材が産出するため、主に関東平野に流通する緑泥片岩製の板碑を武蔵型、四国近辺に流通していたものを阿波型と分類している。また下総型とは主に茨城県にある筑波山から産出される黒雲母片岩製の板碑をさしている。 地域、時代により形態や石材にバリエーションがあり、戦前から郷土史家たちの格好の研究材料であった。戦国期以降になると、急激に廃れ、既存の板碑も廃棄されたり、用水路の蓋などに転用されたものもある。現代の卒塔婆に繋がる。

ウィキペディア

東光寺跡の板碑・・・県内でも少ないといわれる、完全な形で現存している十三仏板碑があります。

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