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日向十五夜祭とひょっとこ祭り

□日向十五夜祭り
    旧暦8月15日を中心に近郊からも多数の人で賑わう十五夜祭りは、今や日向市の名物行事だが、元々鎌倉初期、日向の地頭職になった工藤祐経(すけつね)が鎌倉の鶴岡八幡宮をこの地に勧請して建てたと言われる富高八幡宮(日向市西草場)の豊年祭りであった。長く廃れていたのを、天領地の繁栄をはかって江戸時代後期の1827(文政10)年、当時の西国郡代(旧日田代官)塩屋大四朗が復活させたという。現在は商店街中心の行事となって、祭礼の期日も年によって変わり、富高八幡宮の祭りであることすら知らない市民も多いが、見立細工や子供手踊りが奉納され街中が賑わう。

□ひょっとこ踊り
    ひょっとこ踊りは、塩見永田地区に伝わるこっけいな郷土芸能で、別名橘踊り、ピーヒョロ踊りともいう。 1908(明治41)年、塩見で眼科医をしていた橘公行が付近の青年たちに教えたのが始まりと言われ、狐、おかめ、ひょっとこの面をつけ、赤い着物に白い帯、褌姿で笛・鉦(かね)太鼓のピーヒョロロ、ピーヒョロロのリズムに合わせ、首や腰を前に突き出したり、手足をこっけいに動かし、踊りまくる。現在では「ひょっとこ祭り」という行事もでき、日向市の名物踊りとなった。由来は 昔、オカメという美人と村の若者ヒョウ助が結婚したが子供に恵まれず、毎朝二人はお稲荷様に豆ん飯を供えて祈願していた。ある朝、空腹だった神主が供えてあった豆ん飯を食べた。それを見たお稲荷様が怒って姿を現したが、お稲荷様は美人のオカメに目を奪われて、狐のまま姿を現し、おかめの気を引こうとする。美人のオカメに惚れていた村の若者も集まり、一騒動が起こり、このときの様子が踊りになったという。

八幡神社

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