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可愛岳登山

可愛岳の地図

可愛岳(727.7m):(宮崎県延岡市北川町可愛岳)

可愛山稜の西にそびえる可愛岳の頂上には、古代の巨石信仰の跡というメンヒル(立石)があって、神霊の宿る「鉾岩」と呼ばれ信仰されてきた。可愛神社社伝によると、瓊々杵尊を可愛山頂の鉾岩に安置、遠く古墳時代の崇神天皇時代に社殿を造った。しかし参拝に不便なので可愛山吾田(あがた)神社を建て可愛山稜大権現(可愛神社)と称していた。

近世では明治10年、西南戦争の末期、西郷隆盛が部下を率いて、薩摩をめざして官軍の包囲網を突破し、可愛山頂を抜けて逃走した道である。今回はその道筋を追ってみた。

参考:民族探訪ふるさと365日

可愛岳登山行

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可愛岳の麓、俵野の西郷記念館前駐車場に車を停め、出発したのは午後1時でした。頂上までは2時間ぐらいと聞いていたので、5時には帰れるなという軽い気持ちで出かけたのですが、それがいやはや大変な失敗でした。

ここから登ってすぐ、一本の竹の杖が道端にさりげなく刺してありました。前の人が置いといて下さったのでしょう。この竹のおかげで無事下山出来たような気がします。

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登り始めてすぐの杉林です。この付近はノボリ尾と標識がありました。ウォーミングアップもせずに上り始めたもので、もう息切れがしています。ここから坂道が始まります。

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坂道は続きますが、ノボリ尾を登りきった地点からの写真です。伐採された木が旧道の窪地をふさぎ、そのためか旧道の上に新しく踏み固めた道が出来つつあります。「道は山の命」と椎葉村の歌碑の文句をつぶやきながら、私の足跡も、その一部を担うことになることに不思議な満足感を覚えました。。

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なだらかな杉林の登山道が続きます。このくらいになると、苦しかった私の心臓も馴れて楽になりました。

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シシノカギの標識がありますが、意味はわかりません。目の前を一頭の鹿が横切りました。この付近から周囲から何時もゴソゴソと音が聞こえ、気のせいか動物の視線を感じます。

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道の両側から生い茂ったシダが道に垂れ、山深い雰囲気を作り出しています。この時は既に秘境気分。私は山里育ちのせいか、これまで登山というものに余り興味がありませんでした。今回可愛岳の取材で登らざるを得なくなり、久しぶりの独り登山なのです。

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「ばくと石」というらしいですがわかりません。この付近は鬱蒼と茂った杉の大木が天を覆い、薄暗い雰囲気です。

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間伐されてチョッと明るくなってきた杉林です。点々と空には青空が見えます。頂上はまだかな。せめて後○kmの標示をお願いしたいものです。

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やっと出た広場。何か史跡があるのかな?と期待したが。五合目の看板だけでした(エッまだ半分?)。ここで引き返そうと考えたのですが、ここまで来て何の収穫も未だありません。もう少し登れば何かあるかも。よしもう少し登ろう。すでに一時間は過ぎていました。ここからが大変だったのですが、知る由もありません。

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広場から少し登ったところに、ホンのチョッとの区間、展望が開けていました。登りはじめて初めての眺望の良い所です。遠くに延岡の海岸地帯が見えます。

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さあ始まりましたよ。崖っぷちの登山道。落ちたら危険です。

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下の方に谷川が流れています。

可愛岳

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「水のみ場」の案内板があり、岩の向こうに小川があります。今は皆さん水筒でしょうが、かってこの山に登山した人たちは、きっとこの渓流で喉を潤したことでしょうね。真夏の夜の逃避行、必死の行軍、西郷軍が松明を片手に我先に水を飲む姿が頭に浮かびます。

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急崖を登ります。登りやすいようにロープが架けてあります。 私はリュックでなく、肩掛けのバックに、コートまで持ってきていたので、登るのが大変でした。この可愛岳の南ルートは、トレッキング気分では危険ですね。

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ここは道というより沢です。ここが登山道なのです。足元は岩ゴロで、道筋もよくわかりません。所々、木にくくられた布だけが道しるべでした。油断をしていたら足をこねそうな感じです。

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「ザレの平」という地名です。岩ゴロを少し登った地点です。鬱蒼とした照葉樹林が生い茂っています。

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北ルートとの接点に出ました。これで何とか一息。まもなく2時間になろうとしています。さあどうしよう。右に行けば北ルート。このルートは途中まで車で2,3回来たことがありますので、少しはわかります。頂上はまだ遠いのでしょうか。後少し行ってみよう。

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「前屋敷」「雨乞いの館跡」の看板。かっての神社の名残でしょうか。ところどころに人為的に積まれた石垣があります。足が疲れて、もう一歩も進めない。脇にある立ち木に寄りかかってしばしの休憩です。大丈夫かな?。体力の弱った昨今不安がよぎります。

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やっと稜線に出ました。この石垣はおそらくかっての神社跡の礎石でしょう。稜線といっても道は狭く、獣道に近い、人が通った跡があるという感じの道です。暗くなったら当然に迷いますね。

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これが山頂の神石である鉾岩です。神石とは知らないのもので、私は頂点まで這い登り、下界の写真を撮りました。その2日後、体調を崩したのは偶然でしょうか。

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鉾岩の拡大写真。さすがに大きいですね。ここまで2時間20分かかりました。

鉾岩

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鉾岩からの写真です(延岡方面)。

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鉾岩からの写真です(下を流れる北川)

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逆から見た鉾岩。この先、まだまだ道は続くのですが、もう4時近く、冬の日暮れは早く、山頂といえど斜陽はそれを暗示しています。岩陰を這い、木々の間を縫うような道は時間を費やします。まだ山頂の三角点は見えませんが、ここであきらめました。あきらめて正解でした。これ以上行っていたらと思うとゾッとします。山頂はここからまだ離れていたのです。

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帰りは迷うことなく北ルートを選びました。あの沢の岩ゴロをもう一度下る勇気が無かったからです。ここは「山姥の尾」、何となく気味悪い名前ですね。鳥帽子岳経由の道ですのでその途中です。ここらは比較的歩きやすい道が続きます。

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鳥帽子岳の三角点です。鉾岩から20分くらいです。

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鳥帽子岳(588m)。右は麓の北川からの景色です。

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鳥帽子岳頂上の広場です。ここからの眺めは絶景でした。時間があれば、弁当をひろげるお勧めの場所です。

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鳥帽子岳頂上の広場からの北川付近。下は崖ですから気をつけましょう。数頭の野犬の群れに遇いました。諸塚の駄賃付けの道では唸られて威嚇されましたが、今回は私の姿を見ただけで逃げました。

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ストーンサークル(環状列石)。人為的に丸く並べられた石群の意味ですが、よく判りませんでした。そろそろ林間は暗くなってきたため、よく見る余裕が無かったのが正解ですが。

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鳥帽子岳から降りてきた駐車場です。今は道の駅「はゆま」前からここまで登山道が伸びています。鳥帽子岳からここまでは、迷いやすい道もありましたが比較的楽でした。この駐車場まで何回か来た事がありますので、ヤレヤレ終わったかと一安心しましたが……。

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鳥帽子岳から降りてきた道です。駐車場より。ここまで鳥帽子岳三角点から40分位です。登りは道が急ですのでもっとかかるでしょう。

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駐車場にある平たい石「鬼の舟」。

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家の庭先まで帰っていたつもりが、ここからが大変な道でした。足元は石ころだらけで歩きづらく。疲れた足には相当応えました。ここから里までさらに40分もかかったのです。日は暮れてゆく。なかなか着かない。爪先が痛くて歩けない。ある意味で一番苦しい行程でした。

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やっと見えた麓の村です。ここまではかって西南の役の取材で来た事がありますので、もう少しでわが愛車の待つ西郷記念館前です。もう確実に帰りました。

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西南の役の墓碑でしょうか。あるいはここは旧豊後街道ですので何かの石塔でしょうか。

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西郷記念館横の北ルートの上り口です。到着は午後5時。車で延岡に帰る途中で日が落ちました。足でも捻挫していたらと思うとゾーとします。神石に登るような、罰あたりな私にさえ、神々の加護があったのでしょうか。


編集後記

登山に馴れた人は、このような無理な登山は決してなさらないでしょう。登山は余裕が絶対的要件であるとつくづく思いました。ほとんど山頂まで行ったのですから三角点まで行きたかったのですが、次回に廻します。今度は林道を車で登れば、頂上まで1時間チョッとです。南ルートに入らなければ危険ということもありませんので、もう一度巨石信仰の細部の調査に出かけようと思っています。

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行きかた 延岡市街から国道10号線を大分方面へ。俵野で左折して西郷記念館に向かう。

可愛岳

可愛岳の全景です。

周辺見所

botan 可愛神社

関連サイト

botan 西南の役

西南の役で和田越えの戦いに敗れた西郷軍は、俵野から深夜この山道をたどり、敵の包囲網を突破しました。

botan 可愛岳林道

可愛岳のほぼ中腹まで、ダート道ですが登山道が通っています。上には大きな駐車場があります。ここから登ることをお勧めします。

botan 八大竜王

日向岬米の山のメンヒルです。

鹿の食害

木の皮がかじられています。鹿の食害でしょう。

動物のヌタ場

猪・鹿など大型の獣が泥をあびるヌタ場です。