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御鉾ヶ浦の牧水歌碑

御鉾ヶ浦の地図

御鉾ヶ浦(ミホコガウラ)の牧水歌碑:(日向市細島御鉾ヶ浦)

日向岬の北側入り口(細島方面)、日向岬への坂道にかかる手前に、御鉾ヶ浦公園はある。米の山の斜面に、階段状に整備された美しい公園だ。公園前には御鉾ヶ浦海水浴場があり、また磯場もあって潮干狩りなど周年賑わっている。

公園入り口から入り、二つ目の段丘に牧水歌碑はある。残念ながらわかり辛いので、喫茶店横にある公園案内板を見たほうがいいだろう。

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御鉾ヶ浦海水浴場の全景。

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御鉾ヶ浦公園入り口。

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幾分小さめの牧水歌碑(昭和36年7月建立)。

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石碑に刻まれた歌。

■日高秀子の墓

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■若山牧水歌碑

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さらばとて  さと見合せし    額髪の かげなる 瞳えは忘れめや

ふるさとの   お秀が墓に     草枯れむ 海に向へる  彼の岡の上に

牧水は、歌に生きることを決断した、大学卒業を来年に控えた頃、友情を深めていた日高秀子の死を聞いた。秀子は美々津の船問屋の娘で、日本女子大学に通っていた才女であった。掲出の歌は、不本意に東京を去り、故郷に帰る秀子との最後の別れを思い出して歌った作で、恋愛問題で心身共に傷ついていた彼女の胸底の悲しみを、何も言わぬ瞳にすべて感じ取っている歌である。

若木牧水(伊藤一彦著)

秀子の墓は、細島港を見下ろす高台にある、日高家歴代の墓に眠っている。彼女は牧水と友情を深めていた頃、牧水が大成することを感じていたのであろうか。その牧水すら既に過去の人である。人には早かれ遅かれ、ついには別れが来る。人間とは悲しいものだ。

美々津出身の友人秀子を歌った歌である。秀子の死は明治40年11月だった。その時牧水は友人宛に「君、僕は今に彼女の死期の無残なりしことを語ると得ぬ、彼女は普通の死ではなかったのだ」「来年の夏は両人して彼女の墓に詣でよう。彼女の墓地は米山の中腹にあることを知っている、その山の中腹で海の水を眺めて、顧みて一基の石に対した時、両人の胸には何が湧かう、如何の思いが湧くであろう」(明治40年11月18日)と書き送っている。

牧水は今東京から美々津の秀子の墓をしきりに思っている。丁度三回忌の頃ではなかったか。不運に傷ついて死んだ彼女の無念さを思いやる牧水の気持ちが「草枯れむ」という表現に出ている。

若木牧水(伊藤一彦著)

編集後記

御鉾ヶ浦海水浴場のある御鉾ヶ浦は、風光明媚なところです。淡い恋ごころを持った牧水と秀子が、この地を散策したかどうかは知りませんが、あってもよさそうな雰囲気を漂わせています。

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行きかた 10号線から細島方面に入り、日向岬に向かう。岬にかかる手前に公園がある。公園の喫茶店横入り口を右折すると正面の高台(10mくらい)に歌碑はある。
関連サイト

botan 牧水生家

東郷町にある牧水生家です。

御鉾ヶ浦公 御鉾ヶ浦公園詳細

牧水の歌碑は左手上方石段を10段ほど上った広場にあります。。