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若山牧水生家

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若山牧水生家

牧水生家 は弘化二年(1845)頃に祖父健海が建て医を開業した。健海は埼玉県所沢在の農家に生まれ、長崎で医術を学び26歳のとき坪谷の友を訪ねたが、坪谷の山水の美に心打たれ、そのまま永住したのであろうといわれている。 階下の道路に面した四畳の部屋が当時の診察室で、その他の部屋は家族の居間である。東側の板縁は牧水が生まれたところである。二階東側の明るい部屋は牧水が学生時代の頃夏休みなどで帰省中の居室で、西側の薄暗い部屋は、明治45年7月、父病気のため帰省して約十ヶ月苦悩の日々を送ったときの居室である。この苦悩の間に詠んだ歌五百余首を第六歌集みなかみに納めている。この時代をみなかみ時代という。階下の西側の納戸は

・飲むなと叱り叱りながらに母がつぐうす暗き部屋の夜の酒の色

・納戸の隅に折から一挺の大鎌あり 汝が遺子をまぐるなといふがごとくに

と詠んだ納戸である。

牧水顕彰会碑より

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牧水生家正面
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二階
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屋敷入り口
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診察室方より
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玄関敷石
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大広間
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二階への階段と納戸
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釜戸
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診察室
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流し台
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有ったろう大木
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生誕の地記念碑
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裏山への上り口
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牧水記念館
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坪谷川と尾鈴の山
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近くのバス停

翁 生家から隣のコンクリート造りの牧水記念館の裏側を通り、裏山への小道があり5分ほど登ると、牧水が小さいときよく遊んだ巨石(歌碑)や展望台などがある。

botan 歌人若山牧水の生家は、日向市の西方、東郷町坪谷の静かな山あいにある。山際に古い木造二階建ての生家(県史跡)と、外観に和風を取り入れた鉄筋コンクリートの牧水記念館が並び立っている。 牧水は1885(明治18)年、この地で医師立蔵と妻マキの長男として生まれ、本名は繁。三人の姉が有った。旧制延岡中学校(現県立延岡高校)を経て早稲田大学に進んだ。北原白秋と同期である。尾上柴舟に師事し、1910(明治43)年、歌集「別離」で認められ、1928(明治43)年に43歳で亡くなるまで、酒と歌の日々をすごし、酒の歌、旅の歌、愛郷の歌など格調高い歌を数多く残した。

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行きかた 日向より327号線を西に美郷町を目指す。やがて左側に道の駅「東郷」の大きな施設があるので、そこを左折。そのまま一本道だから迷わない。左手の坪谷川の対岸に牧水公園の丘が見えてくる。その入り口の道路向かいにある。
周辺見所

牧水公園

牧水の墓

若山牧水生家裏山と歌碑

野々崎石橋

坪谷番所跡

仲瀬神社

拡大 牧水生家付近の全景です。赤い屋根が牧水記念館、その左横が生家、手前が牧水公園です。牧水は「想いでの記」のなかで、「晴れた日も悪くは無いが、私の家の眺望は雨の日がとくにいい。それは雲と山との配合が生きてくるからである。……一朝雨ふるとなると、山全体が。いやその峡谷全体が、真っ白な雲で閉ざされてしまう。あたかも霊魂をおびたかのように躍動して見えるのである」と記している。